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有田の窯跡40 - 南川原窯ノ辻窯跡 -

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第39回は、「南川原窯ノ辻(なんがわらかまのつじ)窯跡」です。

所在地は有田町南山です。史跡には指定されていません。

南川原窯ノ辻窯跡-1
南川原窯ノ辻窯跡付近

南川原窯ノ辻窯跡は、1985年度に九州陶磁文化館が、1990年度に駒澤大学が調査主体となり、発掘調査が行われています。その後、1986年に『南川原窯ノ辻窯・広瀬向窯』が九州陶磁文化館より刊行、1993年に『遺物・文献面から観た近世肥前磁器』が倉田芳郎ほかより刊行されています。また、1988年の『有田町史 古窯編』でも紹介されています。

発掘調査では、少なくとも4基以上の窯体があるとわかっています。確認できた窯は、G・F・E・D窯で、G窯は登りの右側をF窯に削平され、そのF窯もE・D窯構築の際削平を受け、E窯もD窯構築の際に削平を受けていますが、いずれもD窯の床下等に遺存していたことが分かっています。D窯については、窯壁が露出しているところもあり、全体的に良好に遺存していると考えられます。

出土した遺物は、G・F窯からは陶器の鉄釉の碗、磁器が染付の碗と皿で雑な磁器碗から上質な皿類に移行したと考えられます。E窯からは陶器の緑釉流し掛け碗が出土しましたが、本窯の製品か不明です。磁器は染付の碗・皿・鉢・瓶、白磁の皿・鉢・瓶、青磁の皿、染付青磁の皿、薄瑠璃釉掛分け皿、黄釉の皿が出土しており、染付皿で上質なものを生産していたようです。窯道具がトチン・ハマ・ボシ・チャツ・焼台・緒締め玉用焼台が確認され、ボシを多用していたことが分かっています。D窯は磁器の染付の皿、青磁の皿が出土し、染付皿を主体にしていたようです。

文献等にも記録があり、承応2年の『有田皿屋』の「南川原山」可能性があり、文化11年の記録には14室の登り窯、元治元年の絵図には5室描かれており、明治9年の記録には下南川原窯と記載があります。遺物や文献等から、G窯は1650年代~1660年代前後、F窯は1650年代~1680年代前後、E窯は1670年代~1750年代前後、D窯は1740年代~近代前後までの操業と推測されます。

南川原窯ノ辻窯跡には、標柱が建っていますが、私有地で山の中ですので現地に行く際は十分に気を付けてください。また、今の時期は、草なども生い茂っているので、害虫等にも気を付けてください。

(伊)R1.7.4

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