5、6月のブログで、有田小学校の百周年記念館にある資料を新校舎へ移動させるための梱包作業等をお伝えしました。梱包を終えた資料ですが、6月の頭にすべて新校舎への移動が終わりました。現在は、展示ケースがまだ準備中のため、梱包をした状態で保管をしています。展示ケース等の準備が整い次第、展示作業を行っていく予定です。皆さんにお見せできるのはもう少し先になりますが、もうしばらくお待ちいただきたいと思います。しかし、新校舎の展示室を見ていただくことはまだできませんが、このブログにて有田小学校の収蔵している資料について少しご紹介したいと思います。
今回のブログでは、有田小学校にある古いピアノについてご紹介します。そのピアノは、アップライト型で、白鍵が52、黒鍵が36の88鍵あります。ふたを開けると「Schiedmayer シードマイヤー」の文字が書かれています。
「Schiedmayer シードマイヤー」
この「Schiedmayer シードマイヤー」は、ドイツの鍵盤楽器製造業者で現在はチェレスタや鍵盤グロッケンシュピール等を製造しています。シードマイヤー社のホームページによるとその創業は1735年と古く、一族によって技術と伝統が守られてきました。ピアノの生産は1980年に中止をしていますが、米国版『音楽楽器大辞典』によると1850年ロンドン大博覧会で金メダル、1900年パリ大博覧会でグランプリを獲得した一流のピアノのようです。大阪音楽学校(現・大阪音楽大学)の首席教授でのちに全日本合唱連盟理事長になられた故・長井斉先生は、有田小学校の「Schiedmayer シードマイヤー」をご覧になって「こんな素晴らしい世界一流の珍しいピアノが有田にあるなんて…」と驚かれたそうです。
では、なぜ当時世界一流のピアノがこの有田小学校にあるのでしょうか?その答えは、有田小学校の大正15年卒業生の和久陶平さんの小学校時代の思い出話の中にあります。
当時の校務日誌によると1926年(大正15年)6月13日にピアノが学校に搬入されていることがわかります。当時6年生だった和久さんが、上有田駅までピアノ様の奉迎に行かれたことを覚えており、駅からは馬車に積み込まれて学校まで運ばれ、ワイワイガヤガヤとお供をしたそうです。
当時の町当局・小学校・地域の有志が、教育や芸術文化に非常に熱心で「どうせ音楽教育に必要なピアノを買うのであれば、一流の高級品を買おう」という考えから、門司三菱の会社を通じてドイツから直接輸入されたようです。約100年も前に、一流の高級ピアノを海外から直接輸入するとは驚きです。それだけ、当時の方は教育に対する思いが強かったのだと思います。
今回の和久さんのエピソードやシードマイヤーについては、有田町歴史民俗資料館館報の「皿山びとの歌No.17」から引用しました。ホームページでは、館報のバックナンバーも見れますので、よかったらそちらものぞいてみてください。(宮)R1.7.9