それでは福島家資料の中身を紹介したいと思います。
(写真:福島家資料)
画像を見てお分かりの通り、青焼き、つまり複写された側の文書のため、かなり読めなくなっています。実は1枚目は全く読めませんでした。余談ですが、青焼きは今後劣化する一方なので、今のうちにデジタル化して読めるように画像加工をしてみようかと思っているところです。
さて、2枚目以降を頑張って読み進めると、表題が『博覧會出品補助金出願人名簿』とあります。先週のブログで紹介した出品品に対する補助金の願いを県に出した人物かと思われます。出願を取り下げた人、出願せずに出品した人がいた可能性もありますので、完全に一致するとは言えませんが、シカゴ万国博覧会の出品者に相当するとみなしてもよいかと思われます。この名簿には博覧会の褒状が残っている深川栄左衛門(香蘭社)や城島栄吉、松尾徳助の名前はもちろん、出品目録が残っている精磁会社のほかに、これまではシカゴ万博出品者とは知られていなかったような人物の名が上がっており、総勢28名書かれています。その次の明治33年パリ万国博覧会に出品した人物名は記録に残っているので、シカゴとパリ、2つの万博出品者を比較してみるのも面白いかと思います。
実は当館は、有田の蒲地商店に残されていた「閣龍世界博覧会出品根据帳」を収蔵しています。根据とはもともと「根拠」を意味する中国語ですので、元帳、原簿といった意味合いでしょうか。中を見ると蒲地商店がシカゴ万博に出品した製品の目録が記載されています。その内訳は、神戸出品蒲地分、佐賀県出品蒲地分(朱書きで精磁会社分)、佐賀県出品鶴田分、兵庫県出品立石分となっています。
上記の福島家の出願人名簿の中には「蒲地」「蒲地商店」の名は出てきませんが、佐賀県出品鶴田分で出されている、鶴田次平の名はあります。そのため、福島家の資料の出品補助出願人とは、おそらく窯焼きのみであり、この補助金は商社に対するものではなかったのではないかと推測されます。
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(写真:蒲地家文書) |
福島家の資料にはまだ続きがあるのですが、これまた長くなりそうなのでまた次回に。(永)R1.8.14