第45回は、「 弁財天(べんざいてん)窯跡」です。
所在地は有田町広瀬山です。史跡には指定されていません。
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弁財天窯跡(遠景) |
弁財天窯跡は、1995年度に西有田町(現有田町)教育委員会が調査主体となり、発掘調査が行われています。その後、1998年に『弁財天古窯跡群』が刊行されています。
発掘調査では、3基(1~3号)の窯体のうち1号窯は未調査ではあるものの2基(2・3号)の窯体が確認されています。調査で確認した2・3号窯は、いずれも遺存状況が悪く2号窯は半分が丘陵部破壊により壊滅しており、3室の確認となり、3号窯は宅地造成の際にほぼ壊滅しており、調査時には1室のみの確認できました。未調査の1号窯も壊滅の可能性が考えられます。
出土した遺物は、磁器の染付碗や皿、陶器の碗が出土しており、磁器製の高台の小さい小皿が主体とみられます。窯道具はトチンやサヤが出土しています。出土遺物から1610年代~1630年代ころの操業と推測されます。
弁財天窯跡は、私有地の中にあるので現地を見ることはできませんが、次回以降紹介する広瀬向窯跡が付近には所在します。なお、有田町教育委員会が刊行している報告書については、現在在庫がありませんのでご了承ください。
(伊)R1.9.12