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有田の陶磁史(102)

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前回まで、日本磁器朝鮮陶工創始説について、軽く振り返っているところでした。そして、せっかく『東京日々新聞』で祥瑞説が一息付いたのに、久米邦武著の『有田皿山創業調子』がぶっ潰してしまったってところまででした。

あの祥瑞説の石割さんも、あれがなかったらもっと展開が違ってただろうにって思ってたに違いありません。でも、石割さんの怒るような、鍋島侯爵家と旧藩臣による陰謀とまでは言いませんが、確かに明治、大正頃の朝鮮陶工説ってのは、ちょっとインチキくさくはあります。だって、五郎太夫という陶工がいたこと自体は信じられていたので、祥瑞磁器創始説を特に肯定する材料もない代わりに、否定する材料もなかったわけですから。ですから、『有田皿山創業調子』の祥瑞の否定にしても、大して説得力のある論が組み立てられたわけではありません。

「一、祥瑞の帰朝年度(永正十年)と肥前磁器創始年度(元和二年)とは約百年の隔りがある。

一、祥瑞に関しては藩史は勿論、該地の口碑伝説にも伝えられて居ない。

一、肥前有田の地は磁器創始の元和初年頃に於てすら僅かに樵夫の行来する極めて辺鄙渓谷であったのに百年を遡る永正時代に他国人の祥瑞が此処へ来て陶業を営む訳なし。」

って、具合です。だから、何だっていうんでしょうか?まあ、朝鮮陶工とは繋がりがないのではという説明くらいにはなってても、祥瑞自体の否定にはなってません。これで当時の研究家諸氏がこぞって朝鮮陶工説になびいたなんて、本当かなって思ってしまいますね。やっぱ、近代歴史学の先駆的大家である久米邦武ブランドなんでしょうか?それなら、今でもありそうですが…。

まあ、祥瑞の否定ってもせいぜいこんな程度なので、朝鮮陶工説側が取った最高難度の究極の作戦は、ガン無視です。祥瑞の話しなんぞ知らないって感じで。ただ、それも大人げないので、もっと高度な作戦で臨んだのが、祥瑞は陶工ではなかった作戦。まさに、何でもありです。しかし、祥瑞説側も黙ってはいません。よせばいいのに、ちょっと盛りすぎてしまう人がちらほら。たとえば、ほら、“古日本”でしたか?祥瑞が作ったってやつ。“Old Japan”、ヨーロッパなどに輸出された古伊万里のことですね。祥瑞に輸出用の古伊万里まだ作らせたら、さすがに話し盛りすぎでしょう。

最後の最後に石割さんが、二人の五郎太夫説で盛り上げてくれましたが、それに、「ゴ。スユンズイ(呉祥瑞)」でもがんばりました。

ただ、実質的には、それ以前の大正6年(1917)に、陶祖李参平の三百年祭の一環として建てられた「陶祖李参平之碑」で勝負アリでした。何しろ、李参平の碑ですから、祥瑞のことなんて、何も触れられていません。究極の祥瑞ガン無視作戦です。さすがに、これを常時人目に触れる山のてっぺんに建てられたらかないません。形式上は、地元民の総意ですし。以後は、もう地元の力が強くて、事実上、全国区の説の方が追随する形になってしまいました。

そして、いよいよ昭和です。(村)R1.9.20

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