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有田の陶磁史(104)

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昭和の磁器創始朝鮮人陶工説、つまり李参平説について、お話ししはじめたところでした。この昭和というのは、出版物も格段に増えますので記すことが多いと思いきや、早々に説が固まってしまい、どれを取っても金太郎飴状態になるので、それほど記すことがありません。もともと中央の茶人・好事家で唱えられた祥瑞説も石割松太郎説で潰れてしまい、完全に地元説の圧勝です。これまでのように、祥瑞説と朝鮮陶工説が並記されることもなくなり、朝鮮陶工説の中での微調整に過ぎなくなります。

この通説の誕生にやはり最も大きな影響があったのは、昭和11年(1936)刊行の中島浩氣『肥前陶磁史考』と考えて間違いありません。この書籍についてはご存じの方も多いかと思いますが、元は白川の窯焼きで、のちに薬販売を手がけた中島氏が、昭和4年から10年に執筆したものです。内容は多岐に渡っており、まさに肥前陶磁のバイブルとも言えるもので、以前、資料の少なかった頃には、ずいぶん重宝しました。窯跡についても、この『肥前陶磁史考』に記載されたものが、現在の包蔵地の登録の元となっており、窯跡の名称もおおむねこの著作に沿って付けられています。もちろん、実際の綿密な窯跡の踏査によるもので、ちなみに、同じ頃に各地の陶片採集に熱中された方々としては、武雄市の金原京一(陶片)氏や昭和3年から5年ほど有田に在住された水町和三郎氏などもいます。両者はその成果として、昭和5年に『肥前古窯址めぐり』を発刊されており、ほかにも水町氏は陶器・磁器の両刀使い、金原氏は陶器の分野で数々の研究成果を発表されています。

話しを『肥前陶磁史考』に戻しますが、何しろやきものについて見聞きしたことは何でも載ってそうなものなので、明治4年生まれの中島氏の生前中の内容については、本当に重宝します。ただ、惜しむらくは、参考・引用文献が示されていないので、近世以前の内容については、取扱い注意です。よく、『肥前陶磁史考』に載ってるからなどと言われる方がいますが、近代と近世以前の内容は、ちゃんと切り分けて使う必要があります。特に、こうして磁器や陶器の研究史を調べてみるとよく分かるのですが、古くから伝わる伝承ではなく、明治以降の研究の中で生成されたような内容が大半です。

でも、それを踏まえて使う分には、本当に便利な書籍です。(村)R1.10.4

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