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有田の陶磁史(105)

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前回は、昭和11年(1936)刊行の中島浩氣著『肥前陶磁史考』のご紹介に終始してしまいました。本日からは、その中身です。

まずは、当然ながら、この書籍でも、例の祥瑞説については触れられています。元のオリジナルっぽい祥瑞説については、明治16年(1883)の田内米三郎『陶器考』から引き、「以上記するところ一顧の値をも発見せず、」と切り捨てます。

そして、実名こそ上げていませんが、北島似水さんの祥瑞武雄武内磁器創始説については、「此武内磁器の製作を以て、彼の祥瑞が発祥の地といふに至りては、餘りに無稽極まる妄説なるが故に」と…。そうでしょ、妄説、妄想がピッタリですよね。

続いて、ちょうど執筆の頃に出された石割松太郎さんのできたてホヤホヤの元和二年祥瑞有田磁器創始説についても、「彼〔祥瑞〕は僅に十八才位にて遣唐使へも従はず、国禁を犯して渡航せしさへ意外なるに、然も文禄は明の萬暦にて我秀吉が韓土に於いて交戦中である。此敵国の人民が同国人さへ入鎮を忽〔ゆる〕かせにせざる官窯地に、如何にして見学を詳になし得可きや」など、徹底的に叩いています。それにしても、北島さんに、石割さんですか…。この妄想コンビに目を付けるなんて、やっぱいいとこ突いてますね~。

そして中島祥瑞説としては、

「要するに祥瑞の銘のある支那の青花白磁を、始めて我邦の五郎大夫なる者が入手して愛玩措〔お:欲しい気持ちを抑える〕く能はず、再び彼地へ注文せし時に自己の名前を加へて記銘せしめたるにはあらざるか。」、「又或説の如く其後小堀遠州等茶人の好みにて、屢〔しばしば〕彼地より渡来せしとの観察は頗る傾聴に値する。」

としており、五郎太夫の存在自体を否定してませんが、例の陶工ではなかった説の変形バージョンにして、陶工どころか祥瑞銘のやきもの好きの五郎太夫さんみたいな設定にしています。そして、後のものは小堀遠州とか茶人が中国に注文したとする、祥瑞全部中国磁器説を唱えられています。

もちろん、地元説バリバリ急先鋒の中島氏のことですから、祥瑞を肯定するはずもありませんが、この際、徹底的に潰しておこうとのことのようです。

ということで、今日こそ、朝鮮陶工説を書こうと思ったんですが、また祥瑞に引っかかってしまいました。さすがに、もうこれからは祥瑞は出てきません…、と思います。(村)R1.10.11

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