文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

有田の陶磁史(116)

最終更新日:

前回は、昭和47年(1972)発行の発掘調査報告書『有田天狗谷古窯』の、永竹威氏の「第六 天狗谷古窯址周辺出土資料の考察」から、天狗谷窯跡が日本磁器の創始窯となっていく過程について引用している最中でした。本日はその続きです。

 

「その頃は、旧記録類や古老の言い伝えに基づいた程度で、僅かに寺内信一らが、その古窯址の一部を確認したにすぎない。昭和五年から六年にかけて旧帝室博物館の陶磁室の北原大輔・鷹巣豊治は長期にわたって佐賀県内に滞在し、金原京一らの協力で、陶器系・磁器系の古窯址の概念的な確認と、陶器片・磁器片の表面採集を行なっているが、その後、地元の金原京一・水町和三郎らが体系的に古窯址の確認と磁片の採集を続けたにすぎない。昭和32年に肥前陶磁研究会が古伊万里調査委員会を組織し、工芸学的な角度から磁器窯創始期の伝世品や採集磁器片についての研究を発表したが、まもなく識者や愛陶家の間で天狗谷古窯址をふくめた創業期から安定期の有田郷内の磁器を古伊万里から分離して「初期伊万里」と分類するようになった。」

 

引用は、「その頃は」からはじまりますが、これは前回の寺内信一氏が、昭和16年の『陶器大辞典』に掲載したという頃のことですから、昭和の初期というか前期というか、昭和の早い時期のことを指しています。

そして、旧帝室博物館の二人の名前が挙げられていますが、北原大輔氏の陶片採集と言えば、よく知られているのは、磁器創始の方ではなくて、“古九谷有田説”をはじめて発表されたってことの方でしょうね。ただ、この時は、みごとに彩壺会に潰されていますが…。それから、鷹巣豊治氏は、有田出身の方です。

この旧帝室博物館のお二人に協力したという金原京一氏については、以前どこかで触れたように思いますが、もともとは武雄市で古美術商をしていた方で、当時の陶片採集の権威的な存在ですね。水町和三郎氏についても触れたかと思いますが、昭和3年から5年間程度、有田の某陶磁器メーカーの招きで有田に滞在し、その間に、陶片採集を通じて金原氏と知り合いになり、『肥前古窯址巡り』を執筆されています。

次の昭和32年の古伊万里調査研究会が発表したというのが、前々回に水町氏の記述について触れた『古伊萬里』のことです。また、この最後あたりの記述から、昭和30年代に古伊万里から初期伊万里が分離されたことが分かります。ちなみに、それまでは、有田の民窯製品という位置付けであった古伊万里が、製品のスタイル別分類である古伊万里様式になったのもこの頃です。もちろん、古伊万里だけではなく、古九谷や柿右衛門、鍋島なども同時に様式が付くようになっています。

本年の仕事は今日で終わりです。この磁器の創始者シリーズがはじまったのは昨年の7月のことですから、結局、有田の陶磁史というタイトルなのに、歴史的には1ミリも前に進みませんでした。もうゴールはすぐそこですので、来年早々にでも片付けてしまいます。それでは、皆さま、本年はお付き合いいただきましてありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。(村)R1.12.27

このページに関する
お問い合わせは
(ID:1593)
ページの先頭へ
有田町役場 文化財課

〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号

電話番号:0955-43-2678

FAX番号:0955-43-4185

© 2024 Arita Town.