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有田の陶磁史(254)

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 前回は、“古九谷様式”の製品に一般的に用いられる“青手”、“祥瑞手”、“五彩手”という分類ではなく、筆者はオリジナルの“万暦赤絵系”、“古染付・祥瑞系”、“南京赤絵系”という分類を用いているという話をしてました。

 この分類が一般的な分類と大きく異なるのは、単なる製品のスタイル別ではなく、オリジナルを生産した窯跡にひも付けられていることです。つまり、前回もお話ししましたが、“万暦赤絵系”の中核窯が黒牟田山の山辺田窯跡、“古染付・祥瑞系”が岩谷川内山の猿川窯跡、“南京赤絵系”が年木山の楠木谷窯跡という具合です。

 とりあえず、詳細は後にしてざっくり言えば、こうした各窯では、最初は各系統のオリジナルな技術の製品が作られたわけですが、違うとは言っても、そこは同じ中国の景徳鎮製品を摸した技術ですので、親和性自体は高いわけです。そうすると、当然、だんだん技術は混じります。ただし、各中核窯に近い窯場ほど、それぞれの中核窯の技術が色濃く残る傾向はあります。

 この技術の混じり方ですが、実際には複雑な混じり方をするわけですが、ごくごくごくごく大ざっぱに言えば、“万暦赤絵系”の技術は、ほかにも取り込まれますが、それほどメチャクチャというわけではなく、比較的近い地域の窯場に限られます。正確に言えば、ちょっと遠いとこにも伝わりますが、海岸に押し寄せる波の先っぽがちょっと触れたみたいな感じで、ごく一部の製品の一部の技法に稀にその影響が見られる程度に過ぎません。

 一方、“古染付・祥瑞系”の技術は、色絵の技術が有田の窯場の中で急速に普及するに連れて、強烈な速さで、しかもほぼ全体に伝わっています。ただ、へそ曲がりな窯は、頑として、初期伊万里だけを作り続けてますけどね。もちろん、すべて猿川窯跡から直接伝わったというわけではなく、孫引き、孫引き、孫引き…、みたいな感じで伝わったんでしょうね。そりゃ、これじゃ当然、あんまりピュアな形では伝わりませんよね。前に様式の説明の時にお話ししましたが、いったい“初期伊万里様式”なんだか“古九谷様式”なんだか分からないようなものも、珍しくないわけです。

 ところが、残りの“南京赤絵系”古九谷ですが、これはもっと強烈です。“古染付・祥瑞系”が普及したそばから、技術の上書きをしていったんです。実は、この“南京赤絵系”の総本山の楠木谷窯跡でも、最初は“古染付・祥瑞系”の古九谷が作られていました。しかし、その後“南京赤絵系”の技術が確立すると、一気に取って代わってしまったのです。この勢いは止まることを知らず、楠木谷窯跡というのは、有田町でも最も東に位置する窯なんですが、ドドドドドッーって感じで、西に技術が攻め込んでいったわけです。そうすると、総本山の楠木谷窯跡が、技術のピュア度は一番高いとして、後の内山の東端にある窯場ですので、相対的に内山はこの技術の影響が大きいわけです。それに、何と言っても、この後“古染付・祥瑞系”と違って、これに上書き保存する技術もありませんでしたので。

 ということで、本日はこの辺までにしときます。(村)

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