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有田の陶磁史(118)

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前回までで、ようやく磁器の創始者シリーズも一段落しました。1年半くらいも延々とやってたわけですから、長かったですね。付き合わせられる方も大変だったかもしれませんが、でも、一度、研究の原点からじっくりと調べておきたかったので、とりあえず最後までたどり着けてホッとしました。こうして活字化しておけば、今すぐ必要ではなくても、いざという時に使い回しができるので便利ですからね。いや、普通の方々がこんな内容を使い回せる機会があるわけもないので、特殊な商売の人には限られますが…。

それにしても、振り返ってみれば、調べれば調べるほど、明治頃までの“祥瑞”の活躍すごかったですね。それに、北島似水さんなんかが話しを盛るもんだから、中身がでかくなること…。さらに、昭和のはじめになると、石割松太郎さんが起死回生の一発逆転を狙って、さらに大風呂敷広げるもんだから、あえなく自滅してしまいましたけど…。

その後は、もう“李参平”の一人勝ちです。まあ、大正6(1917)年の「陶祖李参平之碑」建立で、ほとんど決着は着いてたんですけどね。ただ、元和2(1616)年磁器創始説は、たぶん、活字としては、昭和11(1936)年の中島浩氣著『肥前陶磁史考』が言い出しっぺですけど。

それによって、「元和2年に、朝鮮人陶工李参平は、泉山で陶石を発見し、白川天狗谷に窯を築いて、日本初の磁器を創始した」って説が、独り歩きをはじめるわけです。ただ、これは厳密に言えば中島浩氣説とも違いましたけどね。何しろ中島説は、意外にも、百間窯磁器創始説ですから。だから、通説は「陶祖李参平之碑」の碑文と中島説の合体みたいなもんです。

ですから、よく今でも、「元和2年に磁器が創始されたと、伝えられている。」なんて書いてあるものを見ますが、真実は、あくまでも、昭和時代から伝えられているってことですのでお間違えなく。

ただ、この説が押しも押されもせぬテッパン化したのは、もう少し後のことです。昭和40(1965)年から45年の間に六次に渡って天狗谷窯跡の発掘調査が実施されていますが、これによって科学的なお墨付きを与えられたとして、テッパン化したわけです。

そう言えば、もう昔、昔の話しになりますが、大学院の入学試験の際に、「日本磁器の発生と発展について記せ」という設問が出たのを、今でも鮮明に覚えています。もちろん、今ならそういうのもアリかもしれません。ただ、何せ、まだ近世なんぞがまっとうな考古学だと思われていない時代。陶磁器がアジやサバじゃあるまいし、いわゆる“光り物”と呼ばれて、そんなことするやつは完全完璧なる変人扱いされていた時代のことです。別の時代からの転向組はともかく、純粋培養の近世専門の人なんて、たぶん片手の指でも余るほどしかいなかった時代です。ですから、ましてやそんな設問に答えられる学生がいるわけがありません…。と、言いたいところですが、一人だけいました。解答用紙の表だけでは足らず、裏にまで書いてしまったのです。当時、その学校では、何と有田の山辺田窯跡の整理作業をしていましたので、これは便利なやつが現れたと思われたんでしょうが、見事合格しました。もちろん、入学早々、窯跡の整理作業が回ってきたのは、言うまでもありません。

まあ、当時解答した内容はこのテッパン説だったわけですけど、その後もその威力はなかなかのもんでしたね。皆、完全に、そういう言い伝えがあるもんだと信じ込んでましたから。でも、奉職以来長年有田にどっぷり漬かってますが、やはりとんとそんな言い伝えには出会うことはありませんでした。それでも、押しても引いてもびくともしませんでしたが、ようやく平成の後半頃には、少しはテッパンも柔らかくはなってきたってとこでしょうか。多少の修正は認められるようになりました。偶然かもしれませんが、どうも、有田焼創業300年にはじまって、50年くらいごとに内容が変わるようですね。300年が「陶祖李参平之碑」ですし、テッパン化のきっかけとなった天狗谷窯跡の発掘調査も350年の記念事業ですし。2016年の400年の頃には、ようやく磁器創始が現状では元和2年とは確定できない、李参平が創始したのではないかもって言っても、怒られなくなりましたから。

このブログでは、長らく日本磁器創始説について述べてきたわけですが、結局行き着いたのがかの通説なわけですから、最後に、それがなぜ長らく信じられる説となったのかということについても、ちゃんと突き詰めておきたいと思います。昭和のはじめに完成した当時は、まだまだ根拠に乏しい脆弱な説だったわけですが、先に述べたように、それを盤石なものとしたのが天狗谷窯跡の発掘調査というわけです。

実は、天狗谷窯跡調査の経過については、2013年にこの同じ“泉山日録”で一度記したことがあります。しかし、その後2015年の11月に有田町のHP自体が変更になってしまい、歴史民俗資料館のページも一新された関係で、残念ながら、今はもうネット上には残っていません。プリントして残してあるような奇特な方もいないでしょうから、あらためてもう一度修正を加えながら、記してみることにします。って前回も書いたのですが、今回は、くだらないことをダラダラ書いてたら、そこまでたどり着きませんでした。(村)R2.1.17

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