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有田の陶磁史(120)

最終更新日:

前回は、盗掘によって、天狗谷窯跡の窯体が唯一露出していた部分が破壊されたってとこで終わってました。続きです。

この盗掘の後の状況については、発掘調査報告書の久保英雄(蕉破)氏の記述の中で、次のように記されています。ちなみに、この久保蕉破氏は陶芸作家で、現在もご子孫により“大日窯”という窯元として続いており、蕉破氏時代の初期伊万里風の兎の絵柄や、古伊万里風の絵柄の猪口や小皿などは今でも作り続けられています。

 

「昭和三十八年中部日本新聞社刊行、「カメラ芸術」の企画により、「伊万里」と題する製陶地シリーズの撮影取材のために来有の土門拳氏一行を迎えるにあたり、天狗谷古窯址を案内したさい、遺されていた天狗谷窯址の唯一の窯壁はすでに破壊されており今後の調査の手掛りを無くしてしまった。このことはその後も続いていた陶片収集のための濫掘であることを確認した。」

 

そのため、久保氏はこれ以上の破壊を防ぐため、肥前陶芸作家協会の代表者の方々などとともに、天狗谷窯跡の保護・保存の嘆願書を有田町長と町議会議長宛に提出されたのです。これを受け、町と町議会は天狗谷窯跡を史跡として指定することを内定した旨回答したと言います。

現在、有田町には教育委員会に文化財関係の諮問機関として、文化財保護審議会が設置されています。旧有田町においては、そのはじまりは天狗谷窯跡の町史跡指定を目的として、この時組織されたものだったのです。当時は、文化財保護委員会の名称ですが、この委員会において指定するよう答申が出され、有田町教育委員会が町の第1号の史跡として指定しています。

指定台帳によれば、指定日は昭和40年3月10日付けとなっています。名称は「有田天狗谷古窯跡」で、形状及び特徴の項目には、次のように記されています。

 

「同所は山林で標高100m前後の所にあって、左方凹地に窯壁が二つ認められるが、一帯(右方向)に多数の磁器片や窯道具等が散乱し、古窯跡であることが認められる。李朝風の初期の破片が多く、陶祖李参平開窯と伝えられている古窯にふさわしい物原である。古窯室は表土上に認められない。」

 

また、指定事由は、以下のとおり示されています。

 

「陶祖李参平ゆかりの古窯跡地として、物原に多数の初期磁器片が散乱し、白磁発祥時における焼成苦心の跡が認められ、価値高い物原を保存するため指定した。将来発掘調査により古窯室が出現することを期し、山林中の物原一帯を指定した」

 

とあります。つまり、当時は将来の窯体の発見を期しつつも、李参平ゆかりの窯跡として、主に物原の重要性を重視して史跡として指定したようです。

こうしたタイミングで、一つの事件が起こりました。天狗谷窯跡の域内に製陶工場が新設されることになり、その鍬入れ式が行われました。その時、偶然、窯体の焼成室の一部が発見されたのです。(村)R2.1.31

 

Photo-1
史跡整備前の天狗谷窯跡(平成12年10月30日撮影)

  左側に二列並んで段状に登るのが窯体の埋まる部分、右側のこんもりと盛り上がった部分が物原である。物原部分には、白い磁器片が散乱している。

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