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有田の陶磁史(257)

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 先週は、くそ忙しくてズルしてしまいましたので、今年はじめての登場です。あらためて、皆さま、あけましておめでとうございます。今年はうさぎ年。飛躍の年といいますから、せいぜい皆さま、大ジャンプでがんばってください。私は、その前に、転ばないように気をつけます。

 さて、前回は古九谷様式の色絵磁器の起源は、もしかしたら、鍋島報效会所蔵の国の重文「色絵山水竹鳥文輪花大皿」かもよ、って話をしてました。明らかにいっしょに蔵されている中国の祥瑞大皿を写してますけど、唯一違うのが、内面全体に緑の上絵の具をベタ塗りしていないことです。申し訳程度に、口縁部だけには、緑絵の具を塗ってますけどね。他には、高台内に、祥瑞の方は「大明嘉靖年製」と方形枠内に渦「福」の銘が配されますが、日本のものは二重圏線だけで、銘はないことくらいでしょうか。

 あっ、前回も言いましたが、著作権の関係で画像が掲載できませんので、ググってくださいね。いくつも写真出てきますので。

 それで、なぜ手本とコピーの両方がいっしょに藩主に納められたかってことですが、何をどう考えても、「こんなんできました。」ってことでしょ。「ほほ~、やっと中国の色絵と同じものができるようになったか。」って具合です。

 だいたい、古九谷様式の色絵って、景徳鎮磁器を手本とはしてますが、あえてそっくりになんては作らないんですよ。やはり、日本の色絵磁器としてオリジナリティが出てくる前の、技術自体の確立を目指している段階の製品と考えるのが普通でしょう。そうならば、オリジナリティの逆で、どれだけ手本の中国磁器そっくりに作れるかってことがむしろ重要なわけです。

 だから、ほぼ同じにはできたんですが、やっぱり赤絵の具とかの発色はまだまだだし、最大の違いは緑絵具をベタ塗りできなかったことです。また、この手本の皿がいやらしいことに、内面に窓絵やら文様やらをあちこちに配して、それをうまく避けて緑絵の具を塗ってるんですよ。さすがに、そこだけは勘弁ってことなんでしょうね。日本のものも、一応口縁部には緑絵の具塗ってますが、外面なんて垂れ垂れですからね。この技術力で、内面の文様を避けてなんて不可能でしょうから。

 それから、この大皿は、日本の大皿だとまず例外なくある、ハリ支えもしてませんしね。なので、少し底が垂れてます。商業生産するには歩留まりをよくしないといけないので、そのためにハリ支えを開発したんでしょうけど、でも、これは商業生産の前のものでしょうから、量産は考えてなかったはずなので。

 こういう点から考えても、これが色絵磁器のはじめって可能性は高いって思うんですけどね。さて、どう思いますか?(村)

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