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有田の陶磁史(124)

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前回は、天狗谷の調査団としては、李参平の窯って安易に結び付けることなく、客観的な視点で調査を行いたいとしたものの、地元では段々それを許さないような雰囲気になってきそうって話しで終わってました。続きです。

天狗谷窯跡の二次調査は、昭和41(1966)年11月22日から12月1日の10日間実施されています。一次調査が昭和40(1965)年の10月29日から11月11日でしたので、ちょうど1年くらい経ってからのことです。

この時には、層位的にA窯よりも遅れて築かれたことが確実なB窯、そのB窯のさらに後に築かれたC窯、そして、部分的な遺存で層位的な新旧が不明瞭なD窯を中心に調査が進められました。そして、翌昭和42年7月5日から13日には第三次調査が実施されたのですが、その前にちょっとした出来事がありました。

町史跡の第1号として天狗谷窯跡を指定した有田町教育委員会では、同時に以前調査された稗古場窯跡および近接する天神山窯跡も併せて史跡として指定していました。これらも、李参平と並んで有田焼の創業期を支えた、深海宗伝・百婆仙一族ゆかりの窯というのが事由です。当時、かなり磁器創業ということに、強い関心を抱かれていたということでしょう。そして、続いて第三次調査に先立つ昭和42年の3月20日には、第4号として“初代金ヶ江三兵衛(李参平)墓碑”を指定したのです。この時の指定事由は、文化財の指定台帳に以下のとおり記されています。

 

「当墓碑は既に金ヶ江三兵衛(初代 ― 李参平)の碑であろうと言われていたのを、竜泉寺の戒名帳(過去帳)により昭和42年1月21日池田忠一氏の発見により月日、戒名が確認されたので重要な史跡として指定した。」

 

つまり、天狗谷窯跡にほど近い共同墓地内には、李参平のものではと思われていた「□祖月窓浄心居士 同名三兵衛立之」と刻まれた墓碑があるのですが、新たに龍泉寺の過去帳でも、「月窓浄心、上白川三兵衛霊明暦元年乙未八月十一日」(明暦元年 = 1655年)の記載が発見されたのです。そのため、信憑性が確認されたとして、急きょ史跡指定されたというわけです。それにしても、過去帳の記載が発見されたのが1月21日で、3月20日には早々と指定しているわけですから、これは驚異の早さですね。有田焼350年の直後ということで、よほど李参平への関心が高かったんでしょうね。

まあ、現在でも2カ月で指定することは、やったことはありますので、不可能とは言いませんが、今は手順をきっちり踏んでやらないといけないので、相当慌ただしいのは確かです。いくら、もっと事務手続きが簡素な時代だったと言っても、かなり急いだんだろうとは思います。(村)R2.3.9

 

Photo-1

 

天狗谷窯跡実測図(発掘調査報告書より)

 

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