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有田の陶磁史(259)

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 前回は…、も…、かな?色絵の皿一枚で引っ張ってるところでした。高原五郎七が岩谷川内で青磁を焼きはじめ、献上して御道具山と称したって副田氏系図の記述から、でも、青磁は1620年前後頃に焼きはじめられているので、まだ岩谷川内に窯場ないでしょって話でした。それに、将軍家への例年献上がようやく慶安4年(1651)にはじまるのに、藩主への献上という意味だったとしても、それから30年くらいも将軍家に献上しなかったと思えますか?ってところで、解釈も述べずに無慈悲にも終わってました。

 さて、慶安4年に将軍家に献上したとすれば、藩主への献上もその少し前、1640年代の中頃から後半あたりにはじまったというのが、一番スッキリ!!きそうに思えませんか?もちろん、その頃に青磁がはじまったとするのは、文献史料からも発掘資料からも、絶対にムリですよ。

 先日紹介した「源姓副田氏系圖」の記述の中には、その後、高原五郎七がキリシタン宗門改があるとのうわさを聞いて、夜逃げしたことが記されます。そして、「青磁諸道具跡モナクハ谷ニ投捨置シヲ日清善兵衛ヲ引供シ青磁素焼物等拾集水干シテ相考青磁土兼テ打出ス所ノ道筋尋届色々工夫ヲ以漸サトリ再ヒ焼出シ御用相成通出来立候」とあります。フムフム、何となくなるほどと分かったような気になったでしょ。五郎七が谷に投げ捨てたもんを拾い集めて、それをヒントにいろいろ考えて、ようやく再現に成功したってことですから簡単ですね。でも、一言一句意味を考えてよく読んでみてください。疑問だらけですので。だって、う~ん、青磁諸道具って何でしょうかね~?たとえば、染付製品作るのと青磁作るのでは何か道具違いますか?単に釉薬の違いのように思えるんですけど…。さすがに、谷に投げ捨てた釉薬は拾えないでしょ。それに、“青磁素焼物”って何でしょうね?本焼きする前の素焼き状態のものってことでしょうか?年代がいつかにもよりますが、1640年代だとしても、素焼きってまだ特定の窯くらいしかしてないんですけどね。それに、青磁の素焼きというからには、青磁釉を掛けた状態でないと、青磁の素焼きにはならないですよね。拾い集めて水干しですか。そんな焼いてもいない青磁釉掛けた素焼きなんて、水に濡れたら溶けて流れてしまいますよ。ねっ、よく読むと、よく分からない内容でしょ。って、ご託を並べてたら、今日も解釈まではいきませんでした。ってか、今日は皿の話すら出てこなかったですね。(村)

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