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有田の陶磁史(129)

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予期せぬ私的な理由で2週間もご無沙汰してしまい、大変失礼いたしました。今後は、できる限り穴を開けないように、せいぜい精進したいと思います。

さて、現在ちまたでは、新型コロナで大変なことになってますが、皆さまもくれぐれも大事に至らぬようにご用心ください。その影響で、有田ではちょうど例年ならにぎわっているはずの陶器市が無期延期され、こちらもきっと今後有田で語り継がれるであろう重大事件となってしまっています。何しろ、陶器市の中止は戦時中以来のことですので、もうその記憶がある方もあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。この時期に、町なかを車でスイスイ走れるのは、何だかちょっと違和感アリアリですが、ゴールデンウィーク中はおうちでじっとしとくようにというお達しですので、お言葉に甘えて巣ごもりさせていただこうかと思っています。もともと、あちこち外出する方がかえってストレス感じる引きこもり性格ですので、まったくノー・プロブレムです。

さて、そろそろ本題に入りますが、前回は、補足調査として位置づけた、昭和43(1968)年9月9日から20日の予定で実施された第五次調査が、珍しく、順調に進んだという話しでした。

四次調査で、最も古いA窯が予想に反して16もの焼成室を持つ大規模な登り窯であることが確認され、五次調査ではD窯の窯尻を発見することができました。そして、ちょっとしたハプニングですが、続いてD窯の走行方向を確認するため、下方の延長線上にあるB窯の下から11室目の床下を試掘したところ、奥壁付近の床下に磁器片がびっしりと埋められているのが発見され、その上の12室の床下から、造り替え前の古い時期のB窯の窯尻が出てきたのです。

本当に調査が完了するのかなってヒヤリですが、このくらいの想定外は、発掘調査には付きものです。

残すとこ残り4日の17日からは、A窯より下層にさらに古い窯がないか、念のためにダメ押しです。とりあえず、A窯の最上室である第16室の床下を一部を掘り下げたところ、何も発見されませんでした。

というところで、前回は、めでたし、めでたしで、終わってました。続きです。

A窯第16室の床下で何も発見されなかったことで、これで補足調査も無事終了となるかと思われました。念のため、引き続き、その下の第15室の床下に挑みました。倉田氏は、次のように記されています。

 

「A一五室の砂床を、奥壁沿いに幅一米のトレンチ(註:試掘溝)を入れた。砂床を二五糎掘り下げたところ、驚くべきことに、窯壁片、トチン、ハマ等々の窯道具が出てきた。さらに掘り下げると、松梅水瓶、飴釉の碗などが出た。また窓絵の碗が出土した。突嗟に思ったことは、これがA窯当初の製品で、われわれが、これまで調査してきた床は、A窯の補修床ではないか、ということだった。しかし、一・三米も高く補修するということはあり得ないことである。また、われわれの眼をさらに驚かせたことは、A窯より、どちらかといえばB窯に近いと感じさせる窓絵の碗の出土であった。有田磁器創業の窯と信じていたA窯の整美な窯列の下に、まだ一つの窯が埋もれているのかもしれないという新知見は、様式論のもつ危険性を深く感じさせた。そういえば、この調査の長い期間の間に、A窯出土品より古い磁器がある、という見解は、だれにも聞いた覚えはなかった。」

 

さあ、大変です。最後の補足調査のつもりが、もしかして、出てはいけないものを掘り当ててしまった…のかも?しかも、一番古いと信じていたA窯の下からの発見ですから、本当に窯なら、このままでは終われなくなるかもです。

「様式論のもつ危険性」って、今では発掘調査資料などが積み上がって層位的な確認ができますので、だいぶ目立たなくなりましたが、この天狗谷窯跡の調査の頃どころか、昭和期頃までは、様式論がバリバリの証明の大黒柱(死語?)でしたから。様式論なんて、本当は、仮定するための方法論であって、それで何かが証明できるわけではないんですけど…。

さあ、とりあえず、次はどういう展開が待ってるんでしょうね?(村)R2.5.1

 

Photo-1
A窯とE窯の重複状況(A-11室)

上部にある高い窯壁がA窯で、その手前側の低い窯壁がE窯である。

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