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有田の陶磁史(130)

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前回は、予定どおり調査を完了するために、もしかしたら、出したらいけないものを掘り当ててしまったかも?ってところまででした。

調査予定最終日の18日は、前日に窯道具や松梅瓶・飴釉碗などの製品の出土したA窯15室下の、14室から11室の床下の試掘が順次はじまりました。すると、やはりA窯とは壁面の位置が異なる、別の窯が現れたのです。やっぱり当たりましたね。ちなみに、窯は所属不明のX窯を除き、発見順にAから順に名称を付していたため、D窯に続く、E窯と命名されています。ただし、焼成室数が不明であるため、仮にA窯の13室部分で発見された焼成室をE13室などと表現することにしました。驚がくの出来事は、このE13室で起こったのです。倉田氏は、次のように記します。

 

「この日、最もわれわれを動顚させた事実は、E一三室で起こった。E一三室の奥壁に沿って、南側半分を掘りさげている時に、青磁の影青(註:いんちん/青白磁の中国名。陰刻した部分に釉が厚くたまり、青磁色に発色したもの)の水瓶が五点、ごろごろと出土したのである。初期伊万里の染付の磁器以前に、優品の青磁が焼かれていた、ということは、常識として、考えられないことである。」

 

つい直前まで、最古の窯として疑わなかったA窯の染付製品以前に、青磁が焼かれていたという事実は、当時主流であった様式学的な捉え方では理解の及ばないことだったのです。しかし、たとえ先端の様式学的な理論に反しようとも、客観的条件が整う限り、発掘調査の結果は、歴史の真実なのは間違いありません。

こうしたことは、この天狗谷窯跡の発掘にとどまらず、その後も多くの事例があります。たとえば、様式上は古九谷様式や柿右衛門様式より新しい、初期伊万里様式の製品だって存在します。また、初期伊万里は高台径が小さいなどと言われますが、口径の2分の1をはるかに超えるものも存在します。これは、発掘調査成果では証明できますが、いくら製品を穴が開くほど眺めても、様式学的理論では真理には到達できません。近世陶磁史分野への考古学の参入は、まったく新しい研究スタイルの時代を切り開いたのです。

この調査最終日、青木類次有田町長、今泉今右衛門父子(註:12代・13代。現在の当代は14代)らの遺跡来訪があり、調査の継続に骨を折るとの返答を得て、この五次調査は終了しました。補足調査のつもりが、またまた継続となったのです。(村)R2.5.8

 

Photo
天狗谷E窯13室床面出土青磁瓶
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