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有田の陶磁史(131)

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予想外の展開により継続となった六次調査は、五次調査から2年ほどたった昭和45(1970)年11月13日から19日に実施されました。しかし、五次調査の際にE13室床面で青磁瓶が出土したという事実については、なかなか現実のこととしては周囲に受け入れられなかったようです。倉田氏の記述から拾ってみます。

 

「染付以前に天狗谷で青磁が焼かれていた、という成果は、しかしながら、磁器研究家の方々には、容易には受けいれられず、「いや、誰も信じてくれないんだよ。」と三上団長を嘆かせた。「仕方がないから、こんどは、有田磁器を研究している人たちを現場に呼んで、みんなの見ている前で掘るより仕様がないね。」馬鹿々々しいが、それ以外の方法はないようである。そのことが済めば、天狗谷窯址の調査は、一応終止符を打つわけである。E窯の床に青磁の水瓶よ、まだあれよ、である。」

 

今日では、近世陶磁史を研究する上で、考古学が欠くことのできない分野に成長したことは周知のとおりです。しかし、かつての陶磁史研究は、伝世品を中心とする美術史的な研究が主流で、考古学は遺構について発言することはできても、なかなか製品については言及することはできませんでした。そのため、考古学的見地から従来とは異なる客観的な真実が判明しても、それがすんなりと、世の中に事実として受け入れられたわけではなかったのです。極論ではありますが、いわば考古学は、様式学的研究の基礎資料となる陶片をたくさん掘り出してくれる、単なる便利な分野だったとも言えるのです。

六次調査の主眼は、やはり五次調査で発見された、最古のE窯の把握でした。そのため、極力A窯の窯壁等を壊さずに、A10室から16室の砂床を掘り抜いて、E窯の奥壁・側壁を追求すること。また、可能ならば、E窯の窯尻を捉えることが目指されました。ただし、調査とともに、A窯よりもE窯の傾斜が緩かったことが判明し、E11室を最後に、それ以下の焼成室ではE窯は遺存していないことが判明しました。しかし、A15室の砂床下ではE窯の窯尻が発見され、E窯の上限を確認することはできたのです。

さて、残る懸案事項は五次調査で青磁瓶が出土したE13室です。続けたいのはやまやまですが、まだ長くなりそうなので、また次回。(村)R2.5.15

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天狗谷窯跡実測図(発掘調査報告書より)
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