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有田の陶磁史(132)

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前回は、E窯がA窯よりも傾斜が緩かった関係で、E11室以下は遺存していなかったこと、そして窯尻まで発見され、残るは懸案の五次調査で床面で青磁瓶が出土したE13室ってところで終わってました。続きです。倉田氏の記述から追ってみます。

「問題のE窯一三の精査は、池田(註:池田忠一 郷土史家・有田町文化財保護委員)・久保(註:久保英雄(蕉破) 陶芸家・有田町文化財保護委員)氏ならびに今右衛門窯の今泉善詔(註:十三代今右衛門)氏らが見守る中で行なわれた。奥壁に沿って掘り下げられた。すでに前回の調査で南半分は砂床まで出されているので、今回は、北半分の部分で、青磁が、どのような状態で出土するかを見ようとするのである。まず、奥壁に接して、側壁と天井の崩落したトンバイを排除した。このトンバイ層は、E窯が崩壊した時の様子をそのままに、分厚く、隙間を作っていた。この層を取り除くと、炭と土が、床面までの一〇糎ばかりの間に填まっていたが、トンバイで保護されているためだろう、さらさらした感じだった。窯室の中心線から、次第に北に追っていった。なかなか遺物にぶつからない。「ひょっとすると、窯室の南奥の隅だけに遺存されていたのだろうか。」という考えが頭をかすめた。しかし、あと、二〇糎ばかり掘り進めたら北の壁にぶちあたってしまうという位置で青磁の影青の水瓶が出土した。その隣りにも、もう一点出土した。砂床の直上である。「よし、間違いなく、A窯より古い。」三上団長が大きく頷かれた。見ている方たちも、「おう。」と一斉に声を挙げた。天狗谷ではじめて焼かれた磁器は、素朴な染付の碗ばかりではなかった。一見、李朝そのものといってよい優れた青磁も焼かれていたことになる。技術の伝播を明らかに立証するに足る資料である。」

幸運にも青磁瓶がまだ残っており、最後の最後の締めとしては、めでたし、めでたしといったとこでしょうか。このあと、A窯側壁外の状態を確認する補足調査を行い、一連の天狗谷窯跡の発掘調査は完了しました。倉田氏は、文章の締めくくりとして、次のように記されています。

「調査のあと、天狗谷窯を保存することになったが、一雨ごとに地形を変えてしまいそうな谷に残された天狗谷窯が永く健在であることを、われわれは、町の方々以上に希って止まない。いろいろなできごとのあった有田の町並を、あらためて懐かしい思いで見回しながら、遺跡から宿舎への道を歩いて帰った。その夕、札の辻の交叉点近くで、飲んだコーヒーが殊のほか、おいしく感ぜられた。道路工事そのほかで、次々に窯址が破壊されている有田町が、保護対策を建て、貴重な一窯一窯を、護ってくださることを深く念じている。天狗谷窯の重要さはいうまでもないが、重要な窯が天狗谷窯ばかりでないことも当然である。一つの窯それぞれは、一つの窯それぞれの歴史をもっている。一つの窯それぞれの歴史は、日本における磁器の歴史の一環を担っている。遺跡をして語らしめようとするならば、語らせるその日まで静かに眠らせるべきであろう。」

さまざまな、苦難や驚きの連続でしたが、こうして有田ではじめて考古学的手法の導入された天狗谷窯跡の現地調査は完了したのです。ところが、この調査の波乱は、まだ、これで終わったわけではなかったのです。(村)R2.5.22

 

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天狗谷窯跡E–13室青磁瓶出土状況
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