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館報『季刊 皿山』126号のこぼればなし

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先日、6月1日付で、館報『季刊 皿山』2020夏 126号を無事発行いたしました。当館の館報は3月、6月、9月、12月の年4回発行していますが、その制作作業はおそらく皆さまの想像以上になかなか大変です。おかげで、課員みな悲鳴を上げながら、毎回執筆・校正に追われているところです。たとえば、このブログで書いたことをまとめて紹介したこともあります。逆に、館報では文字数の関係で、どうしても全部は触れられないこともあります。今回の館報126号の1ページ目「町史の行間」は私が書いたのですが、文章の流れの中で、挿入したくてもできない内容がありました。そこで今回は、このブログを使ってご紹介しておきたいと思います。

 

さて、館報で取り上げた内容とは、今年は新型コロナウイルスの影響で、残念ながら延期になってしまった有田陶器市のことでした。何を書こうかと同僚に相談したら、「陶器市の日程関係で調べたら?」と案を頂戴したので、そういえば初期の陶器市は5月ではなかったことを思い出し、何が理由だったのか調べてみたのです。

結局、初期の陶器市が11月や9月に実施された明確な理由を記録した資料は、今のところ見つけられませんでした。しかし、おそらく当時起こった出来事や景気の状況に左右されていたようだという、一応の結論にたどり着くことはできました。詳細はぜひ館報をご一読いただけたらと思います。ただ、執筆の際に、紙面の都合上どうしても書けなかったエピソードがありました。有田町のご当地ソングの一つ、『有田皿山節』についてです。

 

『有田皿山節』は詩人野口雨情が有田を訪れた際に詠んだ詩に、後年、佐世保市の音楽家の土井末義が曲をつけ、昭和31年に披露されたものです。その時は『有田音頭』の名前でした。今でも10月に行われている陶山神社の祭礼「おくんち」や運動会などの際に、有田のもう一つのご当地ソング、美空ひばりの歌った『チロリン節』とともに曲に合わせて盛んに踊られています。私も踊れます。

 

さてこの『有田皿山節』に、陶器市を唄った一節があります。

 

「年に一度は有田の町に 七日七夜の市が立つ」

 

『有田町役場日誌』によれば、野口雨情が有田に来たのは昭和9年12月4日~5日と記録されています。この頃の陶器市は5月1日~7日の会期で行われているので、つまり、実際には陶器市を見ていないのです!しかも、この歌で歌われている「七日七夜」とは、現在の4月29日~5月5日の日程のことではなかったということですね。

古くから現在まで続いているものを考えるとき、つい先入観を持ってしまい、現在の感覚のままで見てしまうことが往々にしてあります。歴史に接する際には当時の視点で物事を考えるというのは初歩の初歩とはいえ、あらためて、日頃見聞きする事柄でも、見方や目線を変えるとまだまだ未発見のことがあるのだろうと痛感した次第です。

 

『有田町役場日誌』には、ようやく実現した野口雨情の来有は、12月4日の午後1時のことで、その際に、役場職員2名と議員2名で出迎えたとあります。その後、泉山磁石場ほかを案内し、夜は松煙亭で晩餐会だったようです。あるいは、この席上で案内した史跡や5月の陶器市の話に花が咲いたからかもしれません。雨情は皿山節の歌詞を揮毫して関係者に贈っています。その日は丸屋旅館に泊まり、翌日は白川谷・柿右衛門窯を案内して、午後2時過ぎに鹿島に向かった、と記録されています。確かに鹿島市にも雨情作詞の『鹿島節』がありますので、この旅程の中で作られたのかもしれませんね。

 

というエピソードを入れようと思ったら、館報の原稿が2ページにわたる大作になってしまい、泣く泣く削ったというわけです。(永)R2.6.3

 

P01017(No.2-10-33)かこう-1
写真右側中央の3階建ての建物が、晩餐会の会場となった松煙亭。昭和初期か。
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