前回、坂の下遺跡について大まかに紹介しましたので、今回から少し掘り下げた内容をご紹介していきたいと思います。
坂の下遺跡は昭和41年3月に水田の耕地整理中に多数の石器や土器片が発見されたことを受けて、同年6月に予備調査が行われています。予備調査では柱の残骸が確認されたことから、住居跡の存在が考えられました。そして、第1次発掘調査が始まります。
第1次発掘調査が開始されたのは、昭和42年11月27日から12月9日までの13日間、予備調査を行った場所のすぐ横に、4m×10mのトレンチ(試掘溝)を設定して掘削を行いました。
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第1次調査トレンチ設定位置図 |
掘削を開始して表土から20cm弱掘り下げたところで、石器や土器片、木材や大小さまざまな礫を含む層にあたり、さらに掘り下げると暗灰色をした土層が薄く堆積し、その下に青色をした粘土層が確認されました。その青色の粘土層上面から整った形ではない円形をした穴の跡が7基見つかりました。それが、当時の人々の食料などを貯蔵する貯蔵穴でした。
確認された7基の貯蔵穴からは、木炭・灰・土器片(阿高式系)を含む層を掘り下げると、広葉樹の葉が堆積し、その下から大量のアラカシなどの木の実が堆積していました。7基の貯蔵穴はそれぞれ大きさが不規則で、当時の調査日数制限からすべての貯蔵穴を掘削し確認することはできなかったそうですが、最も大きな穴は1号穴で3.1m×2.8mと1.8m×1.6mの2段構造になっていたようです。また最も深さのある穴も1号で1.2m、最も浅かった穴が2号の90cmでした。
今回の調査の目的は、住居の痕跡を確認することでしたが、結果的に7基の貯蔵穴を確認することができ、当時の生活様式を考えるうえで重要な遺跡となりました。
今回はここまでにして次回は、1次調査で出土した遺構と遺物などの紹介をしていきたいと思います。
(伊)R2.6.4