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有田の陶磁史(261)

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 前回は、鍋島報效会所蔵の「色絵山水竹鳥文輪花大皿」が、もしかしたら「源姓副田氏系圖」にある、高原五郎七がはじめて献上したという、それまでになかった青磁ではないかという妄想の検証をしました。でも、大皿が岩谷川内山の製品でなければ、何にもならんねってとこで、終わってました。ずいぶん、この話で引っ張りますが、今回で終わりです。

 「色絵山水竹鳥文輪花大皿」ですが、例によって写真はググってみてください。さて、皿の高台内を見ると、二重の染付圏線が巡らされています。古九谷様式の製品について調べたことがある方ならご存じでしょうが、高台内に二重圏線を入れたものが古く、新しくなると一重圏線やないものになるなんて言われています。たしかにそうなんですが、実は、ほとんど知られてませんが、どこの窯場でもそうなのかと言えば違います。これは、それぞれ影響を受けた景徳鎮製品に由来しており、高台内二重圏線の技術が最初にあり、その後一重圏線や圏線なしの技術が広まったため、結果として、二重圏線から一重やなしに変化するのです。

 では、実際に高台内二重圏線の製品を生産している窯場は、どのくらいあると思いますか?古九谷様式の大皿を焼いた窯場は、後の外山あたりを中心に、北から広瀬山の広瀬向窯跡、黒牟田山の山辺田窯跡、多々良の元窯跡、外尾山の丸尾窯跡、外尾山窯跡、岩谷川内山の猿川窯跡などがあります。まあ、例外的にそれ以外でも焼いてるかもしれませんが、微々たるもんでしょうね。それくらい、それらの窯場での割合が圧倒するってことです。さあ、これでだいぶ絞られてきました。

 さて、では、その中で高台内に染付圏線を入れる製品が出土する窯跡はと言えば、山辺田窯跡、丸尾窯跡、猿川窯跡に絞られるのです。ついに3択まできました。引っ張らなくてもいいのに、引っ張りますね。

 次に、3択のうち、高台内二重圏線の大皿がある窯跡はと言えば、何と山辺田窯跡と猿川窯跡だけなのです。いよいよです。それで、よく見ると「色絵山水竹鳥文輪花大皿」の高台内には、本当に二重圏線しか配されていません。ところが、ところがです。山辺田窯跡の二重圏線の大皿の場合は、二重圏線とは別に高台の付け根あたりに一重圏線を巡らすのが基本です。つまり、二重圏線とはいえ、実際には高台内に3本の圏線が巡るわけです。一方、猿川窯跡の方は、二重圏線のみです。

 決まりました!! やっと「源姓副田氏系圖」と「色絵山水竹鳥文輪花大皿」が繋がりました。大皿は高原五郎七がこんなんできましたって、手本とした中国の祥瑞大皿といっしょに献上したって考えれば、ストーリーとしてもバッチリです。まあ、本当にそうかどうかは知りませんが、大きな矛盾はないのは確かですね。ずいぶん引っ張りましたが、最初の色絵磁器の話題はここまで。(村)

 

山辺田窯跡の色絵素地大皿

 

猿川窯跡の色絵素地大皿

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