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有田の陶磁史(135)

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前回は、観念論的な捉え方に流されないためにも、徹底した科学的な姿勢を貫き、操業年代の推定に熱残留磁気測定を活用することにしたというところでした。もちろん、最初からそういう計画だったわけではありません。

天狗谷窯跡の調査で熱残留磁気測定用の資料(焼成室床面焼土)を採取したのは、昭和43(1968)年2月に実施された第四次調査の直前でした。その際には、その時点で窯体の全貌が判明していたA窯とB窯が選ばれています。もちろん、自然科学のバリバリ最先端の方法ですから、原理的には何の問題もないはずです。よって、これで出された結果を採用すれば、必然的に、即一丁上がり!!やすやすと、科学的であることが担保できるということになります。少なくとも、調査団ではそう考えたとは思います。

でも、原理が正しければ、結果も正しいというのは、当然、原理的には正しいはずなのですが、世の中、そう甘くはありません。ですから、本来ならばその真偽の検証を別の科学的な方法でできればベストですが、残念ながら、少なくとも別の自然科学の手法で検証する手段はないのです。では、現在ではどうしてるかと言えば、そこは考古学という人文科学的な方法が発達していますので、それと比較することで、結果の信憑性をさらに高めているわけです。

しかし、さすがにこの天狗谷窯跡の発掘調査当時にそれはムリです。考古学はまだまだ手探り状態で、ヒヨッコにもなってない時期ですから。とりあえず、自然科学の方法で割り出された結果を、ひたすら信じるしかありません。まあ、結果的にはそこに大きな落とし穴があって、最後は、なかなか大胆なパワープレイで乗り切ろうとしたわけですが…。

 

詳細は省きますが、結論として、A窯については1614~15年と1747年、B窯については1574~92年と1815年の、それぞれ二つの年代が、理論的に取り得る候補として示されたのだそうです。あくまでも、この数値個々に、何の正確性の優劣もありません。すべて対等な関係です。でも、どうですか?何だかきな臭さ満点の年号が見えはじめたでしょ。いや、でもきっと想像以上に、もっとひねりの利いた結論ですよ。

そうなると、これらの数値から、A窯とB窯の年代の組み合わせは、4種類存在することになります。ただし、層位的にA窯よりもB窯が新しいことは確認できているため、A窯1614~15年・B窯1574~92年及び、A窯1747年・B窯1574~92年の二つの組み合わせは成り立たないことになります。残りは二つです。一気に絞られてきました。

ただし、ここでもう少し、発掘調査を通じた考古学的知見による縛りがあります。A窯は磁器創始期の窯だということです。すると、A窯を18世紀とするA窯1747年・B窯1815年の組み合わせもポシャります。ついに最後の一つです。ところが、層位的には、A・B両窯が連続して操業したってことも動かせない事実なのです。あれっ?ではA窯1614~15年・B窯1815年という、両窯の年代が200年も隔たってしまう組み合わせも、当然「×」ですよね。「…、…?」ついに想定可能な組み合わせがなくなってしまいました。

人文科学と自然科学という違いはあれ、同じ科学のタッグから導き出した答えですから、“理論上”は、正しい答えがないはずがないのです。でも、理論上はあっても、現実的にないものはないのです。さすがに、これは困った…だろうと思います。

とは言え、やはり数々の苦難を乗り越えてきた調査団です。こんなことでは挫折するはずもありません。どうしたと思いますか?すごい技を編み出すんですが、それについてはまた次回のお楽しみということで。(村)R2.6.12

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