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有田の陶磁史(136)

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さあ、前回は、とうとう天狗谷窯跡のA窯とB窯の熱残留磁気測定において、4種類あった年代の組み合わせのうち、ついに、取り得る組み合わせがなくなってしまいました。これは大変です。

要するに、バリバリの自然科学の王道的方法で抽出された各窯跡の廃棄年代でしたが、いざ人文科学の最先端である考古学的成果と組み合わせようとすると、どの数値の組み合わせもどこかに矛盾が出てしまうのです。かと言って、人文科学と自然科学という、科学と科学のガチンコ勝負ですから、お互いそう簡単に引くわけにもいきません。それで、調査団も相当考えたんでしょうね。ついに、どちらも傷つかない(?)、いいとこ取りのすごい理論が組み立てられたのです。

発掘調査では、B窯の上に重複する形で、C窯というより新しい窯が築かれています。ただし、発見されたC窯は一部の焼成室のみで、削平されて全部は残っていませんでした。少なくとも、B窯の測定用に資料採取された部分では残っていませんでした。しかし、当然もともとはあったはずだと考えたのです。ここからがすごいです。魔法を使いますので、よく読んでください。

B窯で加熱されて一旦磁気が固定化したが、新しいC窯の焼成に際して、床下に位置するB窯の床面も再加熱され、再びC窯の焼成時の地磁気の方向に変わった……と考えたのです。

そうきましたか。

確かに、それならA窯:標準年1614~15年(上限・下限年代:1608~27年)、C窯:標準年1815年(上限・下限年代:1775~1855年)という組み合わせなら、成り立ちそうです。条件1)層位的にA窯よりB窯が新しい。クリアです。条件2)A窯は磁器創始期の窯である。おみごと、クリアです。条件3)A・B両窯は連続して操業した窯である。B窯ではなくC窯の分析結果と読み替えたわけですから連続している必要はないので、パーフェクトです。ですから、互いの科学のプライドを傷つけることなく、層位的にも、成り立つわけです。しかも、唯一の組み合わせなので、逆に言えば、この年代以外には考えられない組み合わせ、という飛躍にも繋がるわけです。

しかし、よく考えてみてください。これは実は何ら自然科学的な必然に基づく、B窯からC窯への変更ではありません。あくまでもB窯としての測定結果ですから。単純に、これなら層位的にも矛盾しないという屁理屈付けただけで、何ら科学的ではないわけです。

ただ、もうこうなると、調査報告書の考察の部分などでは、本当はB窯を分析していることなどは、微塵の痕跡も残されません。科学的根拠に基づく、A窯とC窯の分析結果であることを前提に、論が組み立てられていったのです。

この調査は、本来、“白磁創業期の重要な窯の発掘調査”という位置づけで行われています。つまり、おおかたの関心は苦労して意義づけしたC窯の1815年ではなく、A窯の1614~15年という数値なのは言うまでもありません。

しかも、この数値は、磁極に引きつけられる鉱物と同様に、磁器創業期という意味においては、相当ぐっと引きつけられる値なのは当然です。もちろん、磁器創始の通説が、元和2(1616)年だからです。

さあ、大変なことになってきました。これからどうなっていくんでしょうね。(村)R2.6.19

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