前回、この一連の天狗谷窯跡の発掘調査では、窯の操業年代は熱残留磁気測定という科学的な方法で導き出されたものだということを記しました。まあ、正確に言えば、測定したのはB窯のはずなのに、いわば究極のMagicでC窯の測定結果にドロンさせたわけですから、“これのいったいどこが科学なのっ?”って突っ込みを入れたくはなりますが、今さらどうにもなりませんので、とりあえず置いときます。この年代的な結論として、調査団長の三上次男氏は以下のように総括されています。
「熱残留磁気による年代測定の結果、A窯の廃止時の標準年は一六一四~一五年となったが、誤差を考察に入れると上限は一六〇三年、下限は一六二七年まで年次をひろげることができるという。このA窯の年代から、われわれは天狗谷古窯の創設された年次に関し、いろいろの可能性をひきだすことができるが、それはだいたい三つに集約することができる。第一はA窯の廃止時の年次を標準年にしたがって一六一四~一五とした場合、A窯の創築された年次は、A窯の存続年代だけこれより早くなり、またA窯に先立つE窯の築造年次はこれよりもさらに早くなる。その結果、天狗谷古窯の創設は一七世紀の初頭に近い年次となろう。いまもし、E・A両窯の存続年代を合わせて一〇年前後とすると、E窯の創築年次は一六〇四~五となり、両窯合しての存続年がこれより永ければ、E窯の創築年次はこれより古い。反対に存続年がこれより短いこともありうる訳である。
第二に、A窯の廃止年代を測定値の上限である一六〇三とすると、第一の場合と同じような理由によって、E窯の創築時は一六世紀の末期となる。しかしそうすると、これは秀吉の朝鮮出兵と同時、あるいはそれ以前に磁器窯が築かれたこととなり、不自然の観をまぬがれない。したがって第二の考え方は可能性がうすい。
第三としてA窯の廃止期を、下限の一六二七とすることも可能である。そうしてE・A両窯の存続年代を一〇年前後とすれば、E窯の創築期は一六一七年前後となる。これは可能性のうちではもっとも遅い年次であるが、もし、これを採るとすると、天狗谷古窯は一六一六年(元和二年)、李参平によって創始されたとする伝承とほぼ同じ年次となる。しかしこれらの推定は、あくまでも両窯の存続年代を合わせて一〇年仮定してのことであるから決定的ということはできず、若干の早・遅の可能性はある。」
どうでしょうか?さすがに、ちゃんとそれぞれの可能性を提示して、客観的に検証されています。この期に及んでも、まだまだ科学(っぽく)してますね。実は、まとめはこのあともう少し続くのですが、このあたりはベリー・ベリー重要ですから、ここいらでちょっと頭の整理をしておくことにします。
まず、この三つの捉え方によって、天狗谷窯跡の創業は、上限では秀吉時代まで遡り、中間を取ると1600年代初頭、下限では1617年前後となって李参平の伝承である1616年とほぼ同じ頃ということになるという内容でした。
では、ここで問題です。この中で、有力候補になったのはどれでしょう…?
…実に愚問でした。
秀吉どころか1600年代初頭でも、まだ有田では磁器どころか陶器すら焼いてないかもしれません。言うまでもなく“下限”デス。やっぱり自然科学と人文科学の強力タッグですから、ちゃんと伝承とピッタリ合う正しい方向に導かれるんですね?
でも、ちょっと…??そもそも、ストーリーの展開上、“下限”でないとオチが付かないのは重々承知しておりますが、それって本当に自然科学の分析結果として、1616年とほぼ同じ年次になったんでしょうか?つまり、科学的に割り出された数値かってことです。確かにB窯とC窯の件では、ちょっとしたMagicも披露されましたが、少なくとも、A窯の分析についてはこれっぽっちも不審な点はないはずです。
やはり、ここは科学一本で押し切りたいところでもありますし。ところが、「あくまでも両窯の存続年代を合わせて一〇年仮定してのことである」という部分に注目です。つまり、あくまでも、分析結果の下限自体は1627年です。これがなぜ、1616年に近づいたかと言えば、E・A窯を合わせた操業年代を10年と“仮定”したからです。でも、考えたら分かりますが、この10年という仮定自体は、何らの科学的根拠もありません。なぜ10年なのかという説明すらありません。ですから、極論すれば、5年だろうが、20年だろうが、100年だろうが、どのようにでも随意に決めてもいいわけです。別に根拠はないんですから。何年がお好みですか??
まあ、完全に科学でない当てずっぽうですが、ここは頭のどこかに1616年という年号がチラつきつつ、「さて、E・A窯の操業期間は、いったい何年くらいだろうか?」って考えたんだとは思いませんか?決して、まず1616年が先にあって、それに合わせるために恣意的に10年という期間を当てはめたとは思いません。だって、地元ではお題目のように“李参平の窯、李参平の窯”って唱え続けられたわけですから、きっともう脳ミソの中は、“1616年、1616年”だったはずですから。ってわけで、残念ながら、ここはちょっと“科学”してませんでした。
でも、この1616年って年号も、ずいぶん罪作りです。そもそもこの年号ってそんなに引っ張られるもんでしたっけ?ちょっと、以前お話ししたことを思い出してください。ずいぶん昔のことなので、忘れられているとは思いますが。この李参平の元和2年(1616)磁器創始の“伝承”と称されるものは、知る限りですが、昭和11(1936)年の中島浩氣著『肥前陶磁史考』にはじめて記されるものです。つまり、実は、昭和期発の“伝承”なんです。天狗谷窯跡の発掘調査報告書が刊行されたのが昭和47(1972)年ですから、そのわずか40年足らず前というわけですね。ですから、当然それを知ってれば引っ張られなかったでしょうが、知らなかったから吸引力抜群だったんでしょうね。やっぱり、研究史も調べておくことは大切ですね。って、長々だらだらと研究史書いてる言い訳ですが…。(村)R2.6.26