文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

有田の陶磁史(138)

最終更新日:

前回は、天狗谷窯跡調査団長の三上次男氏による、創業時期の総括の途中まででした。熱残留磁気測定の結果から、天狗谷窯跡の創業時期の上限は、豊臣秀吉時代、中間だと1600年代初頭頃、下限だと李参平の伝承にあるような1616年頃ということになるんでした。三上氏の総括を続けます。

 

(3つの捉え方の)いずれにせよ、天狗谷古窯の創設された年次はもっとも遅く考えても一六一六年には築かれていたことは確かであり、実際それよりも早く生まれていた可能性がある。もし創築が一六一六年(元和二年)より早かったとすれば、伝承の一六一六年は有田磁器あるいは李参平にとって、何らか特記すべき重要な記念の年であり、そのためとくに一六一六年が強調されたものと思われる。先にE窯の製品に陶器的性格が色濃く残っていることを述べたが、あるいは陶工はE窯を試作窯、A窯を完成窯と考えていたかも知れない。」

 

いかがでしょうか?前回からの続きですが、もちろん、かなり慎重に言葉を選ばれ、あくまでも可能性の話しとして記されており、何ら断定的な結論を示されているわけではありません。でも、こう書かれると、何となく李参平や1616年という年号と関連がありそうに思えてくるでしょ?往々にして、結論って独り歩きするものです。

ただ、内容を仔細に解読すれば、「何それ?」ってことなんですけどね。ただし、あくまでも悪意や意識的だとは思いませんよ。本当に、当時はそう考えざるを得ない状況だったと思いますので。

まずは、1616年という年代のTRICK(?)について、ご説明いたします。

この件については前回も触れましたが、熱残留磁気測定の結果、A窯の廃窯年は下限では1627年になるんだそうです。この数値自体は科学的な測定結果ですから、当たってようが当たってまいが信じるしかありません。問題はここからです。

ここで調査団では、E窯とA窯を合わせた存続期間を10年と仮定しました。仮定ですよ。そうすると、1627年-10年で、E窯のはじまりは1617年ということになります。つまり、前回もお話ししたとおり、みごと1616年を意識させる年代になったわけです。でも、考えてみてください。下限が1627年ということですから、別に1626年という仮定でも構わないわけです。そうすると、存続期間を10年とすれば、ピッタリ1616年にすることも可能なわけです。別の方法もあります。存続期間を11年と仮定する方法です。当然、これでも1616年になります。つまり、実際には、科学とは関係なく、どのようにでも自在に年代は操作できるということです。やはり、1616年という年号が頭にあるので、何となくそれと関連付けてしまったということではないでしょうか?

ただ、総括では、別の創業の可能性も示唆されています。E窯をもっと古く位置付ける捉え方です。これは先ほどの要領で、実際のA窯の廃棄を測定年代の下限である1627年より前と考えるか、操業期間をもっと長く考えれば簡単にできます。つまり、磁器の創始が1616年よりも、もっと古くなるということです。

この場合、総括の本文中には「伝承の一六一六年は有田磁器あるいは李参平にとって、何らか特記すべき重要な記念の年であり、そのためとくに一六一六年が強調されたものと思われる。」とありますが、この科学を旨とする調査においては、本来ならば、1616年や李参平の伝承とやらは切り離して考えるべきですので、あえて絡めて「何らか特記すべき重要な記念の年」を創出する必然性はないはずです。ところが、絡めたことにより、記念の年とは「陶工はE窯を試作窯、A窯を完成窯と考えていたかも」、つまり、A窯になって1616年にはじめて試作ではない磁器が完成したという、新たな物語を創造する必要性が生じたわけです。

こうした記述により、「白磁創業期の重要な窯の発掘」という指針ではじめられた発掘でしたが、結果的に、抑制しようとした「李参平の窯の発掘」という意識にかなり傾いていることが読み取れるわけです。

とは言え、しかたない面も多々あったことは十分に理解できます。調査の経緯を思い出してみてください。そもそも後世の文献史料に記された曖昧な李参平と天狗谷窯の関係であったものが、工場の新設で、偶然、窯体そのものが発見され、調査期間中に、その近くにあった墓碑が李参平のものであることが確定的となり、おまけに、科学的な手法によって、1616年を匂わす数値まで揃ったのです。調査団がどう考えようが、これが地元で燃える“李参平の窯”説の火に、油を注ぐことにならないわけがありません。有田焼創業350年記念事業としての発掘調査という事情もありますし。以後、科学の力でお墨付きを与えられたことから、学術的な場も含めて、1616年に李参平が天狗谷窯で磁器を創始したという説が急速にテッパン化したのは言うまでもありません。

これまで長々と記してきましたが、これがかつての磁器創始の通説が、強く信じられるようになった一部始終です。一見科学的なようですが、よくよく見ると、B窯の測定結果をC窯と読み替えたことを皮切りに、実際には肝心なところが科学じゃないことはお分かりいただけたかと思います。

でも、そもそもその自然科学としての熱残留磁気測定自体は、信頼に足るものなのでしょうか?もちろん理論的には正しいのでしょうが、結果として信頼していいものなのかということです。次回は、ちょっとそのあたりのお話しをしてみたいと思います。(村)R2.7.3

このページに関する
お問い合わせは
(ID:1803)
ページの先頭へ
有田町役場 文化財課

〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号

電話番号:0955-43-2678

FAX番号:0955-43-4185

© 2024 Arita Town.