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有田の陶磁史(139)

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前回までに、天狗谷窯跡の創業年代については、結局のところ、熱残留磁気測定の結果をそのまま信じて、“李参平の窯”という方向へと引きずり込まれてしまったというような展開でした。これにより天狗谷窯1616年磁器創始説は、科学的に証明された押しも押されもせぬ堅牢な説としてその後長らく信じられることになるわけですが、そして今…、残念ながらそれはないだろうってことに変わってしまいました。

これは、この昭和40年代の発掘調査時における熱残留磁気測定の結果が間違っていたってことならば話しは早いのですが、見てきたように必ずしもそうとも言えないわけです。というのは、B窯の測定結果をC窯と読み替えて、無理やり取り得る年代的な組み合わせを復活させたり、A窯の測定結果の範囲で動かせる年代観やE窯とA窯の操業期間の長さの仮定など、科学的ではない細工を駆使することによって、あるいは、“試作窯と完成窯”論まで創出して、何とか1616年の磁器創始の伝承(?)に辻褄を合わせたというのが本当のところだと思います。看板は“科学”ながら、実は、かなり感覚的な解釈だったということです。

そもそも、これを真に科学的に解釈すればどうなるかと言えば、至極簡単です。自然科学的に4つの取り得る測定結果が割り出されたものの、それには、残念ながら人文科学である考古学的成果と整合する選択肢がなかったということに尽きます。あくまでも、ここで終わりです。どちらかの科学的手法が間違っていたか、あるいは両方間違っていたことも考えられますが、それは本来それぞれ何らかの形で検証すべきもので、それ以上無理やりこねくり回して整合性を図るべきものではないのです。

まあ、とはいえ、天狗谷窯跡の発掘調査当時は前例がなかったので多少の無理は承知で突っ込んだんだと思いますが、今では、有田の窯跡に限っても、多少なりとも熱残留磁気測定の前例がありますので、だいたいどんなものと捉えていいかは感覚的には分かるようにはなってきています。

 

たとえば原明窯跡では、A・B窯が偏角から1570年、伏角から1650年、総合して1610±50年。C・D窯は偏角から1550年、伏角から1650年、総合して1600±50年という結果が示されています。ちなみに、残念ながら文系の脳ミソにはちゃんとは理解できませんが、ようするに“偏角”とは真北と磁北の差、“伏角”の方は地球の磁気と地面の傾きの差だそうです。言葉の意味としては理解できるのですが、“だから、なに?”ってところではあるのですが…。

とりあえず、原明窯跡については、現在考古学的に想定される年代の範囲はA・B窯、C・D窯ともに、最大幅で1600〜30年代です。よって、1610±50年、つまり1560〜1660年とされるA・B窯も、1600±50年、つまり1550〜1650年とされるC・D窯も、自然科学と人文科学の結果が重なっていることになります。これだと、少なくとも理論上は正しいはずの科学的調査・測定の結果がほぼ一致したわけですから、通常は、より真実である信憑性が高くなったと考えるわけです。

 

ところが、小溝下窯跡のような例もあります。原明窯跡の操業後半期の組成と同じく陶器と磁器を併焼した窯ですが、この場合は、熱残留磁気測定では1690±30年、つまり1660〜1720年という結果が提示されています。こちらは、考古学的に推定される1610~30年代と比べて、あまり具合がよろしくありません。ただ、だからと言って、天狗谷窯跡のように、ムリクリ整合性の取れる画期的な必殺技を編み出して、たとえば、1630年代に一度廃窯となって1660年代に再興したみたいな妄想を起こすのは禁物です。世の中、歩み寄りや妥協は付き物とはいえ、こういう場合は、お互いに理解を示して譲歩しあうべき性質のものではないからです。逆に、自然科学の方法が間違いだ、いや人文科学の誤りだと言ってみても、しょせんは水掛け論に過ぎません。これ以上科学的にはどうしようもないので、スッパリと諦めることあるのみです。

 

では、同じ自然科学と人文科学の結論が一致しない例でも、次のような場合はどうでしょうか。実は、柿右衛門窯跡の発掘調査でも、熱残留磁気測定が行われています。こちらの測定結果は、A窯跡が1810±30年、B窯跡が1780±30年、つまり、A窯跡1780〜1840年、B窯跡1750〜1810年代ということになり、両窯ともに18世紀後半〜19世紀前半の窯跡ということになります。

ここでは、考古学的年代観にはとりあえず触れないことにして、単純にこの熱残留磁気測定の年代を信じて歴史を組み立ててみます。周知のとおり、柿右衛門窯跡では、いわゆる柿右衛門様式の製品が生産されています。これは考古学がどうとかではなく、窯跡から採取できる陶片を見れば分かる純然たる事実に過ぎません。そうすると、それらは必然的に18世紀後半以降の製品ということになります。

ところで、ヨーロッパでは18世紀初頭に磁器が誕生しましたが、すでに18世紀前半には、マイセンをはじめとして、柿右衛門様式風な製品も多く作られています。すると、実は柿右衛門様式はヨーロッパなどで生まれたものを逆に日本で模倣したということにしないと、辻褄が合わないことになるわけです。さあ、それでも熱残留磁気測定の結果が正しいと思いますか?

こうした事例から、果たして、科学的であるということを根拠に、熱残留磁気測定の結果をひたすら信じていいものだろうかという疑問、つまり頭の中に「???」がたくさん浮かんでしまいます。もちろん、人文科学的な方法よりも、先端の自然科学的方法の方が信頼性がありそうな気がするのはごもっともです。でも、片方だけ批評するのも不公平ですので、次回は、考古学的な方法について検証してみることにします。(村)R2.7.13

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