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有田の陶磁史(141)

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前回は、考古学的な編年作業の方法の概略を説明しました。もちろん、実際にはそんなに単純にはいかないんですけどね。たかが一片の陶片といえども、その中には、生産や消費をはじめ、当時の社会のさまざまなあやが織り込まれているわけですから。ということは、逆にうまく情報さえ引き出せれば、陶片からそれが作られた当時の社会を、ある程度再現することも可能ということではあるんですが。まあ、言うは易く行うは難しです。とりあえず、そうやって、現在では近世を通じた陶磁器編年ができあがっているということです。

 

こうして積み上げられた編年は、陶片の出土土層で前後関係が確認できるわけですから、当然ながら、製品の並び順自体を大きく変えることはできません。

たとえば、一つの碗があるとします。これはもちろん見た目は碗ですが、別の視点で捉えると無数の技術・技法の集合体が、碗という形で見えているものとも解釈できます。したがって、一つの碗を組み上がっている編年のまったく違う年代の部分に挿入しようとすれば、そこに含まれる無数の技術・技法の様相が、その前後とはまったく連続性がなくなってしまうのです。これは、前回お話しした突然外部から新しい技術が入ってきて、製品の見た目がガラッと変わってしまうというようなマクロなレベルでの話しではありません。そうした場合でも、ミクロな無数の技術・技法的な要素の中には、必ず前代との連続性は残るのです。

 

話しを天狗谷窯跡に戻しますが、熱残留磁気測定ではC窯の廃棄年代は、1775〜1855年という結果が得られていました。ちなみに、考古学の陶磁器編年ではC窯の製品は1660年代前後です。ところが、もしC窯の出土製品を、その現在の陶磁器編年の1800年前後の部分に組み込もうとすればどうなると思いますか?そうです。技術の連続性などの整合が図れないため、押し込もうにも入る余地がないのです。どこかに異質なものを挟もうと思えば、全体的に編年自体を組み替える必要すら生じてしまいますので。これは、単にモノ一つ、「エイ・ヤー!」ってノリで動かせばいいという話しではないということです。まあ、あえてやろうとするなら、相対年代の順序自体は変えられないので、整合性のある部分に組み込んで、その部分の実年代自体を変える作戦の方がはるかに現実的です。

では、試しにやってみましょう。現代の陶磁器編年の実年代の割り振りがウソで、天狗谷窯の熱残留磁気測定の結果の方が正しかったと仮定してみます。そこで、現在の陶磁器編年の中で、C窯の製品と技術的整合性が図れる部分、つまり1660年代前後の部分に、分析されたC窯の年代を当てはめるとします。つまり、1660年代前後の部分の実年代を1800年前後と置き換えてみるわけです。すると、以後順送りに編年の実年代がずれることになります。

その場合、現在の考古学的編年ではC窯は1660年代前後ですので、仮に1665年で計算すると、C窯の上限年代の1775年との間に110年、下限の1885年なら220年もの開きがあることになります。つまり、すべての編年上の製品を110年から220年分、後ろにずらすということです。

そうするとどうなるか?たとえば、C窯の熱残留磁気測定では標準年とされる1815年頃にできた製品について考えてみます。説明がややこしいですね。ようするに、現在の陶磁器編年上1815年頃とされる製品場合、どこまで後世までずれ込むことになるのかという話しです。

まず、上限の1775年とした場合でも、それぞれ編年が110年後ろにずれることになりますので、1925(大正14)年となります。どうですか?現在の陶磁器編年で19世紀前期頃に位置付けられているものが、実は大正時代にできたものだった…。さすがに、ちょっと苦しいように思えますが、いやいや、このくらいでは。

では、次に下限の1885年だったらどうなるでしょうか。同様に220年後ろにずれますので2035(令和17)年、ついに、近未来の有田焼になってしまいました。タイムマシーンが必要ですね。

上限、下限で計算してみましたので、ついでですので標準年とされる1815年とする場合も、見ておくことにしましょう。ややこしいですが、現在の陶磁器編年の1660年代前後の部分の実年代を1815年とすると、現在陶磁器編年上で1815年頃に位置付けられている製品は、いつ頃生産されたことになるのかということです。1815年と1665年の差がちょうど150年ですので、1815年の150年後、つまり、1965(昭和40)年ということになります。何と、これは驚きの結果です。ちょうど天狗谷窯跡の発掘調査がはじまった年です。登り窯跡を発掘調査すると、同じ頃、同じ場所にあるはずの登り窯で焼いた製品が出土する…???ややこしいので、もうやめます。

 

とりあえず、現在の考古学の陶磁器編年は、その相対年代は、微調整はともかく、ほとんど変えることは不可能です。絶対年代については、今後の研究の進展によって変わることもあるかもしれませんが、これとて、先ほど見た例で分かるとおり、大きくイジルことは不可能です。したがって、熱残留磁気測定など自然科学の結果を受け入れようにも、そうできない時もあるのは事実なのです。なぜ論理的には正しいはずの自然科学の方法で適切な答えが得られないのか、それについては、自然科学の分野の中で答えを探していただくべきもので、人文科学の分野でとやかく言えることではありません。まあ、とやかく言いたくても、その前に数字や計算式が並ぶだけでも脳ミソがフリーズしてしまう文系脳には、まるで理解不能なわけですが…。

天狗谷窯跡の発掘調査では、“科学的”にこだわるあまりに、熱残留磁気測定の結果に翻弄されてしまいました。ただ、これはまだ陶磁器編年もできあがっておらず、熱残留磁気測定の実績も乏しかった時代ですので、当時考え得る客観性の担保に最善を尽くした結果であり、いたしかたのないことだとは思います。(村)R2.7.31

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