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有田の陶磁史(147)

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前回は、南川原などの地名の話をしますってところで終わってましたので、本当にします。まあ、有田出身でもないヨソ者が、エラソーに説明するのもどうかと思いますが、たぶん生まれも育ちも有田の方でも、むしろ知らない人の方が多いかと思いますし、あまりにマイナーな話しで、どこの文献にも記されていないと思いますので、この場をお借りしてご説明させていただくことにします。

 

前回提示した『三河内焼窯元今村氏文書』所収の文久2(1862)年の『折尾瀬村三河内今村甚三郎蔵書写』という文書には、「今村氏代々申伝記之」「国々焼物皿山元祖並年数其外高麗ヨリ来ル人書畄今村如猿記之」という文書があり、有田の窯場のはじまりとしてほぼ同じ内容が記載されていました。その両資料には、「南河原」ないしは「南川原」という地名が記されていますが、前の方の史料では両方が並記されますので、少なくとも、この史料の書かれた文久2(1862)年時点では、両方の表記が併存していたことが分かります。というよりも、天明8(1788)に記したものを文久2年に転記しているわけですから、正確に写していれば、天明8年時点でってことになり、もともと元禄6(1693)に調査したものを書き写しているわけですから、元禄6年時点ではすでに両方の表記があったのかもしれないって解釈することもできます。って、グダグダ書きましたが、後に説明するように、本当は、もっと前から両方の表記方法が混在しています。

 

ところで、漢字の表記法は別として、この“なんがわら”の名称は、ご承知のとおり、現在でも有田の中では日常的に使われています。ですので、たとえば観光客の方が、有田の人に“なんがわら”への道順を尋ねると、すぐに答えが返ってくるはずです。そのくらい、地元ではなじみ深い地名です。

ところが、天神森窯跡の位置する場所にあるお宮さんは「南川良天満宮」であり、ちょっと漢字が違っています。ただ、今のところ、この表記方法については、調べたことがないので詳しい来歴を知りません。ただし、有田人なまりで“なんがわら”は“なんごら”と発音したりもしますので、そこで“良”という文字が宛てられた可能性はあります。ただ、江戸時代までの文献では、これまで見た記憶はありません。さらに、柿右衛門入り口の歩道橋には「南川良原」の名称が付けられており、同じような場所なのに、「南河原」「南川原」「南川良」「南川良原」といろんな表記方法が混在していることになります。ところが…、意外かも知れませんが、現在地図のどこを探しても、どこにもそんな地名はでてきません。同じとおぼしき場所には、「南原」や「南山」あるいは「南山」を二分割した「上南山」「下南山」という表記だけが見えます。

もう、この時点で、大半の有田人ですら、日常的に使っているはずなのに、知識がアヤシくなってきたはずです。

現在の有田町内の行政区のうち、8区として区分されている地域が、「南原」と「南山」を合わせた範囲にあたります。実は、これらの名称は江戸時代までの文献には出て来ない新しい名称で、「南原」は「南川良原」の、「南山」は「南川良山」の略称です。簡単に言えば、以前は「南川原」が“原”と“山”に分かれていたということです。

これから、もっと難しくなってきますので、頭を整理する意味でも、ちょうどいい長さとなりましたので、今回はここまでにしときます。(村)R2.9.11

 

図
「南原」と「南山」の位置関係。地図中、上方(北)が「南原」、中ほどが「下南山」、下方(南)が「上南山」。
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