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有田の陶磁史(150)

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前回まで、「南川原」とかの地名の説明に気合いを入れてしまい、話しが随分脱線してました。もともと、『三河内焼窯元今村氏文書』所収の文久2(1862)年の『折尾瀬村三河内今村甚三郎蔵書写』という文書には、「今村氏代々申伝記之」「国々焼物皿山元祖並年数其外高麗ヨリ来ル人書畄今村如猿記之」という記述があり、それぞれ本来は、今村如猿が元禄6(1693)年時点で調べた記録だろうという話しをしていました。こんな小難しいなじみのない文章など、たぶんお忘れだと思いますので、もう一度、それぞれ記しておきます。

 

「一 南河原皿山 彌右衛門と申者取立」

「一 小溝皿山 三兵衛取立是ハ南川原同前ニ出来」

 

「有田南川原山頭彌右衛門其子太郎右衛門」

「小溝山頭三兵衛 右こみそ山南川原同前ニ出来」

 

というように、両方の文書とも、中身はほぼ同じです。有田の窯業地としては、最初に南川原と小溝がほぼ同じ頃にできたという内容です。

 

ところが、よくよく見ると、両文書にはちょっと記述方法の違いが見られます。前者では“皿山”ってなってますが、後者では“山”という表現が使われています。こんなささいなことなど、どうでもよさそうな気もすると思いますが、そこをほっとけないのが、一種の職業病でしょうか。

でも、実はこの両方の表現とも、針の穴をつつくようなイチャモンに近い話しではありますが、正しくありません。まあ、正しくないというのも、正確には正しくないんではあるんですが…。あくまでも、禅問答ではありません。歴史の話しです。

というのは、この調査は記したように元禄6(1693)年に実施したもので、それを天明8(1788)に書いたものが残っていて、それを文久2(1862)年に書き写したという頭の体操みたいな代物です。では、この調査が実施された元禄6年の段階では、窯場はどのように表現するのが正しいかと言えば、“山”です。ですから、後者の文書の書き方が正しいわけです。しかし、内容的には有田で窯業がはじまった頃、つまり、1600年代頃のことを記しているわけですが、この頃の表記方法としては“山”ではなく、“皿屋”という表現が適切です。この“皿屋”は17世紀後半の中で、“皿山”という表記方法に変わっていきますので、調査した元禄の時点では、前者の史料のように“皿山”と記すのも間違いではないわけです。

もう、おそらく、「こいつ何を言ってるんやら?頭大丈夫かい!!」ってお叱りのご意見もあるかと思います。“山”“皿山”も間違いだと言ったかと思えば、返す刀で、でも“山”“皿山”も、あながち間違いではない…。言ってることの意味がまったく意味不明というのが、まっとうな脳ミソの方のご意見かと思います。ですから、次回はその真意をご説明することにします。別に古文書の専門家ではありませんが、歴史を研究する上では、これくらいは読み込む必要があるって話しです。(村)R2.10.2

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