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有田の陶磁史(159)

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あけましておめでとうございます。正月休みも終わりましたが、何だか年々正月らしさが感じられなくなってきたような…。特に今年は、引き続きコロナ、コロナで、正月らしい行事なども軒並み中止になってますし、初詣なども自粛する人が多かったみたいですから。そういえば、門松やしめ縄などもあまり見かけなくなりましたね。有田では、年末に門松の絵が描かれた対の紙の札みたいなのが毎年配られてきますが、以前はそれくらいは玄関の両サイドに貼っている家も多かったですが、最近はそれすらすっかり見かけなくなりました。まあ、今風の家って引き違い戸の玄関は珍しいので、ビジュアル的にも格好が付かないんですけどね。そう言えば、いつの頃からか、しめ縄付けた自動車もすっかりいなくなりました。昔は皆そうしてたので、むしろ付けない方が罪悪感がありましたが、さすがに今は自動車にしめ縄付けて走る勇気はないですね。こうやって、段々意識の有無に関わらず、世の中は動いているということです。ですから、歴史を研究する時も、現代の感覚で理解しようとするととんでもないドツボにはまることがあります。あっ、“ドツボ(土壺)にはまる”っていうのは、現代でも通じる言葉なんでしょうか?昔の畑にはよく埋めてありましたが、地面からちょっとしか口の部分が飛び出してないので、上に枯れ草なんかが乗ってると本当に気付かないんです。当然、ご幼少のみぎり、そのドツボにはまったことがあります。意味を辞書で調べると、「ひどい状態になること、最低の状態であることを表す」とかってなってますが、確かに、最低の状態になります。誰も近寄ってくれませんし、同情どころか確実に嘲笑を浴びせられますしね。ただ、今はほとんど見かけませんので、お若い方達は、身をもって、こうした言葉の意味を体験できないのは残念ですね。まあ。はまる方がもっと残念ですが。正月早々、何て話をしてるんでしょうね。とりあえず、本題に戻ります。

 

前回は、かつて磁器の創始者候補とされた3人ないしは、別の人によって1610年代の中頃に磁器が創始され、有田の南原地区に人が集まってきたのではという話をしてました。以前話したと思いますが、考古学的に見ても、確かに、今のところ磁器の創始は1610年代中頃が妥当だと推測されます。

 

でも、そもそも磁器って、そんなに簡単に焼けるようになるもんでしょうか?

 

少なくとも、金ヶ江三兵衛ほか文献の残る人たちが1610年代中頃に有田に移り住んで、そこから磁器の技術が開発され、すぐに創始されたというのは、あまりにもでき過ぎのような気もします。発掘調査しても、少なくとも何らの試行錯誤の遺構や遺物らしきものも見られませんしね。いわば、ある日突然、磁器が焼かれはじめたというのが客観的に推し量れる状況といえます。

 

すでに、どこかで技術自体は開発されていたが、十分な原料がなく量産できなかったものの、有田には原料があったため量産が開始された、ということはあるかもしれません。そう言えば、かつては、「李参平は、故国で作成していたような白磁が作りたかったものの、どうしても原料がなくできなかった。しかし、有田の泉山で陶石を発見して、ようやく白磁の焼成に成功した。」という話を何度も耳にしました。これも昭和になってからの伝承(?)でしょうけど…。

 

そうそう、昨年、多久市郷土資料館で開催された、「高麗谷窯跡」展では、有田に先だって実験的に磁器が焼成された可能性が指摘されていましたね。窯道具や陶器の擂鉢と熔着した白磁がそれを暗示する証拠として展示されてました。まあ、可能性としてはあり得そうなことだとは思いますので、別にそれを否定はしません。ただ、ここでは詳しくは触れませんが、多久市の場合は、まだまだ証拠固めが不充分で、そうかもしれないし、そうでないかもしれないってとこでしょうか。いっしょに採取される陶器皿などが独特の鉄絵を施すなど胎土目積み段階の製品で、砂目積み段階に通有な溝縁皿などが見られないことなどが古い根拠の一つとされてましたが、以前紹介したように、嬉野市の大草野窯跡なんかでは、鉄絵で胎土目積みの溝縁皿なんてもんまで出土してますから…。その他…、まあ、置いときます。もう少し、客観的証拠が欲しいところですね。

 

それはそうと、おそらく、このブログの大方の読者の方々は、磁器の創始を、磁器質のやきもののはじまりのとこと捉えられているのではないかと思います。そうすると、先ほどの李参平の伝承(?)でもそうですが、朝鮮半島の技術で、朝鮮半島風の磁器質の磁器を開発したということになります。でも、その程度のことであれば、逆に、有田に移住して、すぐに磁器ができても不思議ではないでしょうね。故国では、磁器を作っていたってことですから。ですから、それなら試行錯誤の痕跡が見られないのも当然と言えば当然ってことになります。まあ、現実は、そう単純ではないんですけどね。

さて、この続きをお話ししたいのはやまやまですが、まだ長くなりそうですので、また次回ということで。(村)R3.1.8

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