文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

有田の陶磁史(162)

最終更新日:

前回は、疑り深い方のために、本当に李朝の磁器はほとんど無文の白磁ばかりなのって話をしました。ということは、どういうことかと言えば、李朝の技術、つまり陶工の持つ技術がそのまま反映された磁器は、無文の白磁になるはずということです。

しかし、日本磁器の場合は、最初の頃にはむしろ白磁はほとんどなく、あくまでも基本は染付製品です。まれに白磁もないわけではありませんが、だいたい型打ち成形して輪花状にするか陽刻文様を施しています。つまり、本当の無文の白磁は、ほぼないわけです。これは、日本磁器が当初から目指したのは“南京焼”ですので、中国の青花と同様に染付が基本というわけです。

 

でも、日本の磁器が早い段階から中国風を目指したとしても、とりあえず、唐津焼から李朝風白磁、そして中国風磁器へと変化したことにしないとご納得いただけない方も少なからずいらっしゃいます。特に、古美術関連の業界などには多いようです。そりゃ、そうでしょうね。普段、目にしているのが伝世品ですから。じっくり見比べれば比べるほど、順々に並べたくなるのも当然です。でも、考えてみてください。もちろん、そんな風に変化する可能性もありますので、別に否定するわけではありません。でも残念ながら、どこからも、それを客観的に証明できるわけではないのです。単にそういう仮定もできるだけの話です。

 

確かに、数は多くありませんが、猪口などでは李朝そのままみたいな無文の白磁がないわけではありません。これを“初源伊万里”というのだそうですが、骨董業界で流通している用語のようで、少し前まで知りませんでした。ほぼ伝世してませんので、市場に出回るものも、ほとんどは窯跡からの発掘品です。

でも、変だと思いませんか。なぜ、その中国風の前にくるはずの“初源伊万里”とやらは猪口みたいな小物ばかりなんでしょうか?本来量産するはずの、碗や皿すらもありません。猪口だけ試験的に試したのでしょうか?でも、そうならば、最初は猪口ばかり焼いていて、遅れて碗や皿の生産がはじまったことになります。陶器の場合は、碗・皿と猪口はほぼ同時にはじまっているのに、磁器の場合は碗・皿類は遅れてはじまったとすれば、どんな歴史的必然性が考えられるのでしょうか?それに、だとすれば、碗・皿類の場合もやはり試験的に試してみる必要が生じますので、やはり“初源伊万里”に碗・皿類がないことはちょっと矛盾します。

窯跡の発掘調査成果によれば、こうした猪口類の多くは、重ね焼きする陶器や磁器皿の最上部に乗せて焼かれています。つまり、磁器の中でも相対的に雑器ってことです。ですから、ほとんど伝世しないのです。小物の安価な雑器なので、貴重は呉須は使わないか気持ち程度の文様だけです。それに雑器の場合は、コストパフォーマンスが重要ですから、意図的な作為は不要。つまり、相対的に陶工本来の技術が表に出やすくなります。李朝っぽくなるってことです。

 

まとめます。日本磁器は、当初から李朝の技術を基盤としつつも中国風を目指したため、相対的に高級品ほど李朝色の目立たない中国風のスタイルになります。逆に、相対的に下級品ほど、成形などに李朝色が強くなります。つまり、李朝色の強弱は時期的な要因というよりも、原則的に、質的な上下関係ということです。

このように、時期とともに段々変化すると思われがちですが、現実はそうならない例はほかにもいくつもあります。例えば骨董業界などでは、今でも、いわゆる“初期伊万里”は三分の一高台などと言われ、皿などは口径に対して高台径が小さく、だんだん高台径が大きくなることが常識のように言われることがあります。しかし、実際には、最初期の1610~30年代頃の製品は、量産化が進んだ続く40~50年代頃の製品と比べると、平均的に高台径は大きいのが一般的です。しかも、同じ1630年代以前の窯跡の製品でも、天神森窯跡のように景徳鎮磁器を意識した高級品を多く作る窯場では、中皿などは口径と底径の比が二分の一程度というのが一般的で、小溝上窯跡などにも、底径が二分の一を楽々超える皿もあります。個体差の要因を何でもかんでも時期差と捉えようとする限り、伝世品をいくら穴が開くほど眺めていても、こうした事実は分かりません。

古陶磁だと思うから思考が鈍りますが、別の捉え方をすると、磁器は当時最先端の工業製品です。ですから、いわば今の電化製品などと同じと考えれば分かりやすくなります。常に需要の動向を注視しながらの生産になりますし、例えば、いくら画期的なものであっても、あまりに時代を先取りし過ぎた場合は、消費者の方がついてくることができずに終わってしまい、結局は淘汰されるようなことも起こります。逆に、技術的には古いものであっても、価格的に競争力があれば、それに飛びつく需要層はいるわけです。まあ、そう単純にはいかないということです。


今回は、残念ながら、なぜ中国風だと簡単には作れないのかという本論まで進みませんでした。まだまだ続きそうですので、次回以降にご説明いたします。(村)R3.1.29

 

高台径が大きめの初期伊万里中皿(天神森窯跡)

このページに関する
お問い合わせは
(ID:1941)
ページの先頭へ
有田町役場 文化財課

〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号

電話番号:0955-43-2678

FAX番号:0955-43-4185

© 2024 Arita Town.