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有田の陶磁史(165)

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前回までは大脱線してました。ですから、もうお忘れでしょうが、もともとは李朝風の無文白磁も磁器ではあるものの、いわゆる日本磁器とは別物という話をしてるところでした。

李朝の“磁器”とか“白磁”とか書いてますが、正確に言えば、日本磁器の方は“磁器”ですが、李朝の場合は、前回までお話していた“瓷器”“白瓷”の方が意味としては適切です。東洋ですから。つまり、必ずしも磁器質であることが必須ではないのです。

 

肥前の近世陶磁の場合、唐津焼と称された陶器の技術の中で伊万里焼と称された磁器の技術が誕生しました。この陶器から磁器への発展という順序は、窯業の進展を考えれば、比較的分かりやすい並び順だと思います。ところが、このイメージがあると、李朝磁器は理解できないのです。それは、真逆だからです。というのは、最初に磁器質の白磁ができあがり、それが全国的に普及していく過程で、陶器質の白磁ができあがっているからです。

李朝の白磁も日本の磁器も、元をたどれば、14世紀頃の景徳鎮にたどり着きます。しかし、その元となったものが違うのです。日本磁器の元となったのは、釉薬にやや鉄分のある青白釉の白磁です。これがやがて、元染付へと発展するわけです。一方、李朝白磁の元となったのは、“枢府白磁”という、鉄分の少ない乳白色の白磁です。“枢府”とは、“枢密院”という軍政を担当した役所の名前で、その典型作に“枢府”の銘が刻まれていたことから、この名があります。ミソなのは、こういう純白磁は、ほぼ鉄分がないため、呉須が発色しないだろうってことです。柿右衛門様式の乳白手もそうです。つまり、この“枢府白磁”の影響で、15世紀に完成するのが李朝白磁というわけです。

なぜ無文の白磁なのかと言えば、よく儒教文化だからだと言われますが、別に朝鮮ウォッチャーじゃないので、本当のところは知りません。でも、呉須はやはり朝鮮半島では産出しない高価なものなので、ぜいたくだということで禁止された経緯もあるし、もともと王室などでは銀器を用いていてそれがぜいたくだということで白磁に変えたってこともあるようなので、もともと絵を描くべき必然性がないのは確かでしょう。もちろん中国・明からの使節を迎えるために、龍の絵柄の壺とか、ルール上必要な染付製品は作られていますので、無文の白磁のみということではありませんが。

ただ、青華白磁は特にそうですが、磁器質の白磁も主に官窯の話です。この技術が地方に分散すると、焼くと磁器質になる原料が採取できるところはほとんどありませんので、結果として、技術的には同じであっても、陶器質(炻器質)のやきものができるということです。ですから、磁器質と陶器質という差はあれども、どちらも白磁、正確に言えば白瓷ですが…、ということです。

とりあえず、このように日本磁器とは、もともとコンセプトの違う別の磁器にスタート地点があるのです。

ということで、本日はおしまい。(村)R3.2.19

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