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有田の陶磁史(171)

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前回まで、朝鮮半島出身の陶工が染付磁器を作るのって、思ったほど楽々ではなさそうって話をしてました。

 だいたい、祖国で磁器質の磁器を作っていた陶工自体がどのくらい渡ってきたもんか?官窯のある広州周辺以外では、当時、磁器質の磁器が焼かれていた場所自体が、そう多くはあるわけではありませんし。しかも、たとえいたとしても、一般的な李朝の磁器質の磁器は枢府白磁の影響を受けたもので、そもそも染付が発色しないでしょってことでした。さらに、官窯くらいしか染付磁器は生産されてませんので、渡ってきた人たちは、呉須から絵の具を作る方法は知らなかった可能性も高そうです。それに、だいたい中国から輸入しないといけない呉須をどうやって手に入れたんでしょうか?

 どうですか?意外に、朝鮮人陶工が日本で磁器を開発するのって敷居が高いと思いませんか。どう考えても、朝鮮半島の自前の技術だけでは、日本磁器は開発できそうにありません。そこで、本日はもう一つ、自前の技術じゃムリでしょって話をします。

 磁器がはじまる以前の陶器生産では、器を変形させる際には、指や工具で行いました。しかし、磁器の出現とともに、土型を用いた型打ち成形が見られるようになります。正確に言えば、その頃の土型が発見されているわけではありませんが、とりあえず、型打ち成形なのは確かですので、土型以外は考えられません。型からはずしやすくするために、型と粘土の間に布を挟んでいたらしく、布目跡が残る製品も時々見られます。

 さて、この型打ち成形ですが、当時の朝鮮半島にはなかった技法です。ですから、唐津焼と呼ばれた陶器には型打ち成形したものがないのも当然です。「いや、陶器にも花形などに型打ち成形した皿などがあるじゃないか。」というご指摘もあろうかと思いますが、確かにあります。でも、それは磁器創始以後の陶器です。ですから、砂目積みの陶器には型打ち成形したものがありますが、胎土目積みの陶器などには皆無というわけです。

 この型打ち成形の技法は、もちろん中国にはありますが、いくら中国風の製品が作りたかったと言っても、どんなに日本に輸入された中国の製品を穴が開くほどにらんでいても、土型を使って作ったなんて想像できるはずもありません。つまり、呉須もそうですが、この型打ち成形の技法も、何らかの形で、中国の技術との関わりがない限り、肥前の窯業技術の中に取り込めるはずがないのです。

 こうした点から考えても、やはり日本磁器は、単に朝鮮半島の技術のみで中国風磁器が作られたのではなく、何らかの形で、中国人陶工の関与か技術を取り入れる方法があったと考えるべきでしょう。(村)

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