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有田の陶磁史(182)

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前回は、どこにも記録のない泉山発見の時期は、発見後最初に築いたと記される天狗谷窯の開窯時期から、だいたい分かるのではってところで終わってました。続きです。

 天狗谷窯跡についてはかつて磁器発祥の窯と捉えられていたため、以前かなり詳しく説明したことがあるため、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。簡単におさらいをしておくと、古い方からE窯、A窯、B窯、C窯と4基の窯体から構成される登り窯跡で、当初から磁器専焼の窯です。

 泉山で豊富で良質な原料が発見されたと言っても、これまで使っていたものとはやはり性質が異なっていたはずです。したがって、とりあえず、泉山の陶石で果たして良質な磁器が作れるのか、あるいは、量的な豊富さを活かして、磁器専業体制を築けるのかという、実験やノウハウの蓄積が必要となるわけです。これこそ、天狗谷窯の存在意義の高さであって、磁器創始の窯ではなくなったということで価値が低下するということはありません。現在まで続く、産業的磁器生産の元となった窯ということですから。

 昭和の発掘調査は、窯体を中心に実施されており、物原は調査されていません。ただ、E窯の焼成室床面から染付や青磁の瓶がいくつも出土しており、少なくとも確実なE窯最終段階の磁器を知ることができます。それらの製品は、現在の編年観では、1630年代後半~40年代前半頃と推測されます。

 一方、平成の発掘調査では、物原も調査しました。連続して築かれた窯体が4基あるので、物原のどの堆積土層がどの窯に対応するのかを正確に分けることは困難です。しかし、開窯時期を知りたいのであれば、とにかく一番下層の製品が分かれば問題ありません。ちなみに、昭和の発掘のE窯床面の製品と類似するものは、この最下の土層群よりも上の土層で発見されています。したがって、開窯はそれよりも一定期間早いことになりますが、おそらく製品の特徴や類例などから、1630年代前半頃あたりであろうと考えられます。

 ということは、それより少し前に泉山が発見された可能性が高くなりますので、おおむね1630年前後頃のことではないかと思われます。少なくとも、そう考えれば、1610年代中頃に磁器が創始され、その後、だんだん良質な原料が取れなくなったため、原料を探し回って泉山を発見し、最初は天狗谷窯を築いて、泉山の原料で磁器専業体制を模索したというストーリーを描くことができ、これは文献史料とも発掘調査資料とも矛盾していません。(村)

 

写真1 E窯焼成室床面出土染付瓶

写真2 E窯焼成室床面出土青磁瓶­

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