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有田の陶磁史(296)

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 前回は、ムダ話をしてたら終わってしまいましたね。今日は、本当に山辺田遺跡を含む山辺田窯跡の青手の話をしますね。

 一般的に、青手は山辺田窯跡で、ほぼ作られてるのではって思ってる方が多々いらっしゃいます。ここでは、仮に外面に雲気文を描くAタイプと、唐草文をビッシリ描くBタイプに分けて、Bタイプはさらに、一般的なB-1タイプと、丸というか蕨文状文というかそういう描き方をしたものをB-2タイプ、それから緑や黄の下に黒で濃みた文様を描くB-3タイプに分けました。そして、B-3タイプが最も古い青手の種類で、Bタイプは一般的に総じて後期に分類されている中で、前期というのか中期というのか知りませんが、B-3タイプは1640年代末前後にはじまった。さらにそれからは少し遅れるけど、B-2タイプも中期にははじまっているということをお話ししました。つまり、Bタイプでも後期なのは、圧倒的に数の多いB-1タイプってことになります。B-3タイプは唐草の葉や花だけで、茎を描かないものが多いので、もしかしたらB-2タイプはB-1タイプじゃなくてB-3タイプの簡略形かもしれませんね。

 ということで、具体的に山辺田窯跡の青手の話ですが、基本的に山辺田窯跡にはB-1タイプはありません。多いのはAタイプで、それにB-2タイプが少し加わるってのが生産状況の概略です。

 ただし、伝世するAタイプを見ると、素地や雲気文をはじめとする文様の描き方に何パターンかあります。中には本当に山辺田窯跡の素地かって疑いたくなるような良質な素地の製品もありますので、ほかの窯の製品も含まれている可能性は大だと思います。いや、実際には、山辺田窯跡にもピカピカの白い白磁もありますが数は多くありません。

 では、B-3タイプはどうかってことですが、このタイプは山辺田遺跡の発掘調査をする前までは、正直なところ、岩谷川内山の製品の可能性が高いかなって思ってました。かなり良質なものが多いですし。

 ところが、山辺田遺跡の発掘調査が進んで、もうじき完了ってなる直前に、何と出てきてしまったんです。高台周辺の小さめの破片で、色絵もずいぶん剥がれてるんですが、外面胴部に一部黒で塗った文様は見えるし、高台外側面まで唐草は続いてるし、畳付の内外側面の釉を削ってるし、ついでによく見ると、前に長々と触れた「青手四葉座文輪花鉢」と同じように、高台の内直下に黒の圏線が入っているのも分かります。これってバリバリのB-3タイプじゃないですかって驚きました。ちなみに、くどいですが、畳付の側面を深く削るのって、典型的な祥瑞手の特徴ですからね。もちろん、ほかの種類の青手にはありませんよ。そして、前にB-3タイプの説明の最初の頃に、中皿の例を写真で提示しました。実は、あれと類似した中皿で口銹するものも出土していたのです。こりゃ、山辺田窯跡でもB-3タイプ焼かれてるって認めないわけにはいきませんね。でも、今でも猿川窯跡に青手があるとすれば、というかあると思いますが、それはB-3タイプだと思ってますよ。

 ということで、じゃあB-1タイプの青手ってどこで焼かれたんでしょうねってことになりますが、これについてはまた次回ということで。(村)

 

山辺田窯跡出土の青手B—3タイプ

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