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有田の陶磁史(299)

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 前回は、主に丸尾窯跡の白磁の色絵素地の特徴について、山辺田窯跡との比較でお話ししました。素地は鉄分が少なめですので、比較的乳白色に近く、畳付の露胎部は白いものが多いこと。高台幅も比較的広いものが多くて、高台の器厚が薄めで、“U”字形みたいに基部も先端部もあまり厚さの変わらないものが多いこと。口銹は端部を平らに削っていること。胴部をカクカクって2、3回折ってる珍しい素地があり、端部が平らな口銹との組み合わせなんぞは、他の窯では見たことないってこと。施釉の際に高台内にベタベタと手跡を残すものが多いこと。このくらいだったでしょうか。

 このように、丸尾窯跡の場合は、山辺田窯跡と同様に色絵素地の割合が高いにも関わらず、ほかの大皿生産窯と比べても山辺田窯跡とは比較的特徴が被らないのです。ですから、この素地から分かる特徴ならば、たとえ色絵自体が出土してなくても、ある程度は伝世品との比較ができそうでしょ。じゃあ、こんな特徴を持つ青手ってどんなもんでしょうか?

 まあ、これまでの話の流れで、だいたい察しは付かれるかと思いますが、B-1タイプの青手です。B-1タイプの青手は、細分化すればいろんな種類があるので一概には言えませんが、おおむね素地は白めのものが多く、高台幅も広めのものが比較的多く、また、高台の器壁の厚みも薄めで“U”字形に近いものが多いです。さらに、口銹の端部は平らに削っており、例の特徴的な胴部をカクカクって2、3回折ってるものも見られます。そして、高台内の塗り潰した絵の具の下には、よく見ると、手跡を残しているものが多く見られます。

 もう、これっきゃないでしょうって感じじゃないですか。この丸尾窯跡がB-1タイプの青手の主力窯でなければ、いったいどこって感じですし、それに、もしそうでなければ、こうしたかなり特徴的な素地をほかの種類の色絵の中で探さなきゃいけないことになるけど、たとえ五彩手まで範囲を広げても、そんな都合のいいもんあるわけないですよ。色絵素地の割合が高めの窯場なので、どこかにひっそりと紛れているってレベルでは、説明付きませんよ。

 だから、少なくともこのブログ的には、青手の場合は猿川窯跡でまず黒塗り文様を入れるB-3タイプがはじまり、ほどなくそれは山辺田窯跡でも一部作られ、やや遅れて雲気文を巡らすAタイプが山辺田窯跡を中心に生産されるようになった。そして、あまり差がなく山辺田窯跡では丸々、蕨状文のB-2タイプも作られるようになり、後期ということになってますから、それからまた少し遅れて、丸尾窯跡を中心にB-1タイプが普及したって解釈です。まあ、山辺田窯跡には、B-1タイプは皆無とまでは言いませんけどね。

でも、B-1タイプが後期って、本当かな~?中心となるのが丸尾窯跡の製品だから、素地が平均的には良質なんで、新しく見えるだけじゃないのかな~?AタイプもB-2、B-1タイプも、実際には、ほぼ同時期じゃないかって思うんですけど…。今のところ、確認のしようがないですね。それはさておき、ようするに、青手は全部、赤絵町が成立する以前のものってが結論です。でも、そうすると赤絵町は1650年代中頃には成立したと考えられますので、やっぱ少なくともB-1タイプとB-2タイプはそんなに時期差があるとも思えないですけどね。実際に東南アジアなんかでは、両タイプが出土しますしね。そう言えば、青手の年代はよく1650~60年代なんて表記されてますけど、赤絵町で後期の青手が作られた説だとそうなりますかね〜。でも、まさか60年代はあり得んでしょう。だって、1659年にはヨーロッパ輸出もはじまるわけでしょ。ところが、ヨーロッパで青手が出土したなんて話は、とんと聞いたことないですから。

 ということで、やっとですが、このへんで青手については終わりにしとこうかと思います。B-1タイプの種類とか、もっと詳細に話してもいいんですが、もう複雑怪奇の泥沼にはまるのは目に見えてますのでここらへんで止めときます。青手がしばらく続いたので、何を話してたか忘れかけてましたが、あと白磁を素地とする五彩手が残ってましたね。次回からは、これについてお話ししてみることにします。(村)

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