前回は、西部の白磁素地大皿生産窯では、少なくとも正保4年(1647)から承応2年(1653)の間には、白磁素地を製作する技術が伝播したことをお話ししました。その間、5、6年ですから、これでもそんなに悪くはないんですけどね。でも、もう少し絞り込めたらラッキーなので、本日はそれについてお話しします。
外尾山窯跡では、柏の葉を2枚重ねた感じの白磁変形小皿が出土しています。それで、同型の白磁素地の伝世品には、青手ではないですが、それっぽく緑と黄の絵の具を葉の部分にベタ塗りしたものがあります。つまり、外尾山窯跡の白磁も色絵素地の可能性が高いわけです。とは言え、こういうタイプの変形小皿の場合は、白磁やら色絵やら、青磁やら瑠璃釉やら、染付やらいろんな種類に作り分けるってのは一つのスタイルではあるので、同じ型のもので、色絵と白磁の製品が伝世していてもまったく変ではないですけどね。とりあえず、外尾山窯跡の白磁の時期には、間違いなく色絵製品もあったってことは間違いないわけです。
重要なのはこれからです。同じ型の伝世品はもう一つありまして、そちらは染付入りの素地なんですが、祥瑞手風の丸文などの色絵が施されています。まあ、祥瑞手風というか、緑じゃなく黄緑使って文様の輪郭も赤線なんで、正真正銘の祥瑞手なんですけどね。それで、この伝世品には共箱があって、慶安4年(1651)5月の墨書があります。つまり、作られたのは、それ以前ってことになります。墨書が5月ですからね。今みたいに、トラックや飛行機、鉄道なんかで、びゅびゅっと送れるって時代でもないですから、可能性としては、作られたのは前年以前かもしれませんね。
外尾山窯跡って、もちろん西側の大皿生産窯の一角ですから、1650年頃までには、東端の楠木谷窯跡発の白磁素地の技術が、流れ流れて西側の窯場にも伝わっていたってことが分かります。これで、西側の白磁素地の成立年代幅は4年間くらいに絞られてきましたね。やっぱり、青手も1640年代末くらいにははじまる…、いや、普及かな。前に話した青手のB-3タイプなんかの高台内に変字銘を入れるものは、そんな銘は山辺田窯跡の二重圏線を入れる五彩手製品の中でも百花手とか古いとこにしかないので、50年代末というより、限りなく1647年に近い時期だと思うので。まあ、1、2年の差ではあるんですけど…。だから白磁素地の五彩手も、遅くとも1640年代末頃までにははじまった可能性が高いように思いますね。
ということで、本日はここまでにしときます。(村)
白磁柏葉文変型皿〔内面〕(外尾山窯跡)
〔外面〕
色絵柏葉文変形皿〔内面〕(慶安4年箱銘)
〔外面〕