前回は、山辺田窯跡をはじめとする西側の大皿生産窯に白磁の色絵素地の技術が伝わった時期について考えてみました。上限は1647年、下限は伝世品の箱銘から1651年ですが、実際には遅くとも1640年代末までには伝わった可能性が高いでしょうね。つまり、幅は1647年から49年ってことですからほとんど誤差の範囲みたいなもんですが、1647年を40年代末として一括りにするのは、ちと抵抗がありますから、一応分けとくことにします。
さて、本日ですが、白磁素地の五彩手大皿の種類についてお話ししてみようかと思います。伝世品なんか見ると、細かく見ると違いはいろいろあります。ただ、マジで細分化をしてくと、またドツボにはまって抜け出せなくなりますので、技術系統の視点から見たマクロ的な話に止めておきたいと思います。もっとも、前にもお話ししたような記憶がありますが、色絵を付けた製品が出土しているのは、山辺田遺跡も含めた山辺田窯跡関連だけです。青手だとある程度特徴の掴める丸尾窯跡の場合も、染付入りの色絵は出土していますが、白磁素地のものは発見されていません。だから、今のところ山辺田窯跡以外はよく分かりません。もっとも、そもそもこの青手や白磁素地の五彩手の話は、山辺田窯跡の話をしていたところからの流れだったような…。だから、やっと元に戻ったってことではあるんですけどね。
山辺田窯跡の白磁素地の五彩手を、細かいことは置いといて大きく、大きく、めちゃ大きく分けると、二つタイプに分けることができます。大ざっぱ過ぎます??いや、数が少ないものや例外的なものは除きますから、これでいいんです。
一つは描き方のパターンはいろいろあるんですが、外面に花唐草を2、3方向に巡らすタイプです。ただし、各唐草は通常は端部で繋がってますので、実質連続文様になっています。この唐草の描き方は、元をただせば、山辺田窯跡のオリジナル色絵たる百花手に類例があります。もちろん、もっとちゃんとしたやつですけどね。それを簡略化とか、逆にド派手にしたのが白磁素地のやつです。まあ、山辺田窯の正統派後継スタイルと言っていいかもですね。ちなみに、もちろん、裏文様がその他の少数の種類もぼちぼちはありますけど、山辺田窯跡の白磁素地の五彩手は、多くはこのタイプです。特に伝世品は大半がこのタイプですけど、またまた、ここでは仮にこれをAタイプとして話を進めることにしましょうか。
ってことで、長くなるので続きは次回。(村)
五彩手Aタイプの外面の唐草文様の一例