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有田の陶磁史(304)

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 とうとう今年も、残すとこあと数日になってしまいました。このブログも、本年はこれが最終回です。だいぶ、すっ飛ばして大ざっぱな話にした関係で、もしかしたら今回で古九谷時代終われるかもねってとこまでは、なんとかたどり着きました。でも、こうやって無駄口叩いていると、また終わらなくなるといけないので、さっさと本題に戻ります。

 さて、前回は、山辺田窯跡の白磁素地の五彩手を2つに大別するってことで、仮にAタイプとした、外面に花唐草を巡らすタイプについてお話ししている最中でした。ちなみに、この花唐草の構図の元は、良質なものが百花手などに見られるって言いました。そして、山辺田窯跡の白磁素地の五彩手の伝世品は、ほとんどこのタイプだってことでした。続きです。

 Aタイプとしたこのタイプの大きな特徴は、内外面ともに、青手と同じように、赤絵の具は一切使ってないことです。「???」かもしれませんね。多くの方は、五彩手と言われると、何だか赤を使っているようなイメージがあるでしょうから。でも、このAタイプは違うんだな~。多くは、黄、緑、紫の3色を使ってて、たまには青を少しだけ使うものはありますが、間違ってもというか、意地でも赤は使いません。つまり、青手とパターンがいっしょってことです。

 一方、山辺田窯跡の染付圏線入りの色絵の場合は、多少は赤は使いますが、それでも全体的には寒色系のオンパレードですよね。ですから、裏文様の唐草もそうでしたが、元祖山辺田じゃないですが、その正統な後継スタイルと言えるのが、このAタイプだと思います。まあ、ピンきりではあるんですが、さすがに伝世品に多いタイプだけあって、相対的には良質です。器形も縁を折らない丸皿から、いろんな折縁皿まで多様です。

 ということで、このAタイプについては、古九谷関係の図録などでも一般的ですので、それほどイメージするのも難しくないと思います。

問題は次です。

実は、それとは対照的に、伝世品にはほとんど見かけないけど、発掘調査すると出てくるんだな~って種類があるんです。

どんなんだと思いますか?まあ、伝世品にはほとんどないので、分かるわけないかなっ…?

意外だと思いますが、赤絵の具を使うタイプです。正確に言えば、たまには使ってないのもありますから、多くは赤を使うタイプって言えばいいでしょうか。仮にこれをBタイプとしときましょうか。つっても、文字で書いてもイメージ湧かないと思うので、写真をいくつか掲載しておきますね。それから、そもそも破片じゃ分からんって方のために、十中八九山辺田のこのタイプの伝世品でしょうねってのも一つ。ちなみに、伝世品とその一つ前の縞々文様の口縁部の破片は、裏面が同じ赤の折松葉文ですね。

 相対的にいいものが残りやすいのが伝世品ですから、あまり伝世してないってことは、推して知るべし。平均的には素地もあまり良くはありません。もちろん、Aタイプと比べた上での、平均的にですよ。いいものもありますから。考えたら一目瞭然ですが、こういうものは、山辺田窯跡のオリジナルな色絵磁器の技術にはルーツがありません。

 じゃ、どこから来たのってことですが、お分かりでしょうが、南京赤絵系の技術と考えて間違いありません。例の喜三右衛門さんの赤絵技術が、世上くわっと広がった際に、山辺田窯跡にもたどり着いたってことです。素地の白磁といっしょに伝わったんでしょうね。でも、こうしたものは、山辺田窯跡では、保守本流じゃないですからね。だとしたら、世上くわっと広がったのが1650年代前半ですから、こうした製品も、やはり1640年代末から遅くとも50年代初頭頃までには作られはじめたって考えるべきでしょうね。

 ちなみに、よそ様のことなんであまり触れたくはないんですが、石川県の九谷古窯や工房跡である九谷A遺跡で出土している色絵磁器の多くには、実は赤絵の具が使われています。九谷古窯の素地は全部染付のない白磁ですから、九谷で色絵が焼かれていなかったなんて言いませんが、伝世するような山辺田保守本流のAタイプのような色絵ではなく、おそらく山辺田亜流の五彩手Bタイプの技術が伝わったものと考えれば割とスッキリ??。少なくとも、九谷には肥前の技術が伝わって窯ができたことは間違いありませんが、当時色絵磁器を焼いてるとこなんて、肥前でも有田以外ではほとんどないですから、まあ、有田の技術でしょう。そんで、その有田の中でも九谷古窯で出土するような大皿焼いてるところは、さんざん記してきたとおり、ごく限られますからね。必然的に、少なくとも有田の西部の窯場ってことにはなります。それに、九谷では、山辺田保守本流の別働隊みたいなもんである青手のタイプも、はっきりと分かるもんは出土してませんしね。ちなみに、昔の本(たとえば、小学館『世界陶磁全集9』1983とか)では、窯跡周辺から、赤と青を使った色絵片とともに、全面塗り潰しのいわゆる青手片が紹介されてますが、ありゃ、お隣にある再興九谷の吉田屋窯跡の製品ですからね。保守本流の技術じゃないので、今後も青手は出ないと思いますよ。つまり、九谷には山辺田亜流の色絵の技術が伝わったと考えれば、やっぱスッキリ!!ですね。

 ということで、ちょびっと長くなってしまいましたが、何とか山辺田窯跡の古九谷の話まで終わったような…。良かった。そういうことにしとこう。

 でも、最後についでなんで言っとこうかな。前に石川の人は山辺田窯跡で色絵片が出土していることに関して、「有田のやつらは、登り窯で色絵は焼かれてないって知らないのか」「誰かが悪意を持ってそこに置いたに違いない」ってのたまわれてたってことをお話ししましたよね。じゃ、さっきお話しした九谷古窯の周辺から出土した色絵も、誰かが悪意を持って置いたんでしょうかね~?九谷古窯の製品みたいな説明しか見たことないんですが、悪意の山辺田とどういう違いがあるのかいまだに???。誰か教えてください。

 ということで、本日はここまで。皆さまよい新年をお迎えください。今年もお付き合いいただき、ありがとうございました。(村)

 

五彩手Bタイプの製品

 

五彩手Bタイプの伝世品

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