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有田の陶磁史(305)

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あけましておめでとうございます。

東の方では7日までがお正月って感覚が強いみたいなので、もうあけましてはないかな?でも、西の方では15日までらしいので、まだまだあけましてです。

さて、昨年は、この与太話の多いブログに、根気よくお付き合いいただき、ありがとうございました。今年も、たぶん変わんないと思いますが、ケチらずに現在の最新の研究成果をお伝えしたいと思いますので、よろしければお立ち寄りください。

 さて、昨年末の前回の記事をもって、一応、古九谷様式についての内容を終えることができました…ってことにしときます。これでも、1年以上つうか、一昨年の秋頃から60回近く同じところをグルグルしてたわけで、多くの方々は、もうどんな流れだったのか読めなくなってませんか?本人もどこまでどう話したのかなんて、あんまりよく覚えてないし…。やればできますが、さすがにこれ以上細かくは止めときます。

 でも、次に移るにもやっぱり古九谷様式の部分は、メチャ重要ってか、ここが分かってないと次もすんなりと理解できないんですよ。ですから、おさらいの意味で、次に進む前に、もう一度軽く古九谷様式についてまとめておくことにしますね。

 ということで、まずは、そもそも古九谷様式って何?ってところあたりからはじめますか。覚えてますか??

 そうですね、よく色絵磁器の様式だと思ってられる方がいらっしゃいますよね。やっぱ、肥前の色絵の中でも色使いとか強烈ですから。でも、古美術やコレクターの方々などは、今でも“藍九谷”って区分を使われてますよね。“染付の古九谷”って意味ですね。じゃあ、色絵磁器だけじゃなくて、種類や数の圧倒する染付にも古九谷があるってことになりますね。そうなんです。古九谷は色絵だけの様式じゃないんです。実際には、色絵に限らず、染付ほかすべての種類を包括する様式です。

 じゃあ、そういうことなら、歴史的視点で古九谷って何?をひと言で表すとすれば、どう位置付けられるんでしょうか。まあ、“中国の景徳鎮磁器と同様な製品を作るための様式”ということになるでしょうか。

 たとえば、分かりやすいところでは、皿の高台径が大きくなるなど、製品のスタイルを一気に変えて、高台内や皿の外面に銘や文様、圏線などを配置することを基本とするルールも確立しました。胎土の質なんかもメチャよくなりますしね。文様も、大枠としては万暦から明末・清初の景徳鎮磁器に倣うことからはじめました。ただ、むしろ忠実に摸したものは少なくて、“景徳鎮風”くらいではあるんですが…。

 こうして、製品のスタイルや質を初期伊万里様式からガラッと変えて、景徳鎮磁器と肩を並べられるようになったものの、完全に同列になるにはもういっちょ足りないものがありました。それが色絵の技法なわけです。もともと日本磁器とは、“李朝の技術で生産した中国風磁器”って定義できますので、おおむね技術は李朝の窯業の範囲で賄われていました。まあ、チビッとくらいは中国の技法なんかも入れてますが。なので、李朝には色絵の技法がなかったので、成立期の日本磁器にもそれはなくても仕方ないわけです。ですから、古九谷様式の成立に際して、景徳鎮に追い付け追い越せで色絵の開発も行ったわけです。

 そんで、これで景徳鎮と遜色なくなりました。その結果、やっと景徳鎮に代わって、国内や世界市場に挑戦する土台が整ったわけです。いくら明末・清初の混乱で中国がコケたからって、まさか初期伊万里様式の技術やスタイルで、世界は狙えませんよ。

 つまり、古九谷様式における色絵は、技術を構成する技法の一つであり、“古九谷 = 色絵”ではなく、あくまでも“古九谷 > 色絵”の関係です。

 まずは、これを念頭に置いておいてくださいね。ということで、新年の最初はここまでにしときます。(村)

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