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有田の陶磁史(306)

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前回は、古九谷様式のまとめのさわりということで、古九谷様式とは何ぞやという話をしました。景徳鎮と肩を並べるための技術ってことでした。この後に成立する鍋島様式も柿右衛門様式も、間接的には古伊万里様式も、この古九谷様式の技術をベースに開発されています。なので、そもそも有田に古九谷様式がなければ、鍋島様式以下の様式が成立のしようがないんですよ。でも、現実的にあります。だから、たとえば古九谷様式は有田か九谷かなんて話は、そもそもナンセンスってもんです。

じゃあ、それはいつどこではじまったんでしょうか。

 古九谷様式には、もともと“万暦赤絵系”と“古染付・祥瑞系”“南京赤絵系”の3つの技術系統が存在したという妄想が、ここでの出発点でした。ちなみに、“万暦赤絵系”の中核窯跡が黒牟田山の山辺田窯跡“古染付・祥瑞系”が岩谷川内山の猿川窯跡“南京赤絵系”が年木山の楠木谷窯跡です。“万暦赤絵系”は誰がはじめたのか不明なので、仮にここの話ではミスターXさんとしときました。それから、“古染付・祥瑞系”は、高原五郎七さんで、“南京赤絵系”は酒井田喜三右衛門さんでした。

 まあ、だいたい1640年代中頃に古九谷様式が成立して、3つの技術の成立の下限が正保4年(1647)ですので、ほとんど時期差ってほどのレベルではないんですが、あえてどれが先って言われれば、“古染付・祥瑞系”かな~ってことなわけです。

 何度もお話ししましたが、例の“アレ”…。“アレのアレ”ですよ。いや、“アレ”ってもタイガースのことじゃないですよ。鍋島報效会所蔵の祥瑞手の「色絵山水竹鳥文輪花大皿」のことです。景徳鎮の祥瑞大皿とセットで残っており、それを有田で摸した初代佐賀藩主鍋島勝茂旧蔵って伝えられてるやつです。「どんなんだったかな~?」って方は「https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/225159」でググってみてください。

 絵なんかは、祥瑞の方とほぼそっくりですけど、祥瑞の方が内面に描かれた丸文ほかの文様を巧みに避けて緑絵の具をベタ塗りしているのに対して、祥瑞手の方は申し訳程度に口縁部だけに緑絵の具を塗ってます。まあ、忠実にマネしたかったけど、まだ文様を避けてベタ塗りできるほどの力量がなかったんでしょうね。だって、裏面見てもらうと分かりますが、祥瑞とは違って口縁部の緑絵の具だってダラダラ垂れてるくらいなので。赤もこげ茶色でうまく発色してないし。でも、今まで色絵技法がなかったわけですから、とりあえず「どうじゃ、こんなんできましたぜ。」ってことで、藩主に献上したんじゃないでしょうかね~。つまり、これが色絵のはじまりだと思ってるんですよ。でないと、技術的には未熟なもんを、しかも手本とした祥瑞といっしょに藩主に献上する意味が分かんないでしょ。「源姓副田氏系圖」によると、献上したのは高原五郎七さんで、“青磁”を焼きはじめて、それを献上して勝手に御道具山を名乗ったってことになってますね。だけど、この“青磁”ってのが、あの“青磁”のことじゃなくて、緑の上絵のことだと思うわけですよ。本当にあの“青磁”のことなら、1620年代前半までにははじまってますので、まだ岩谷川内山すら存在してませんぜ。

 ということで、勝手な妄想に過ぎませんが、少なくともここでは岩谷川内山の“古染付・祥瑞系”が、古九谷の中でも最初にはじまったと考えているわけです。本日はおしまい。(村)

山辺田窯跡・猿川窯跡・楠木谷窯跡の位置図

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