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有田の陶磁史(307)

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前回は、古九谷のはじまりは岩谷川内山の“古染付・祥瑞系”、高原五郎七さんが「でけた、でけた。」ってことで藩主に最初に献上したのが、きっと鍋島報效会所蔵の祥瑞手の「色絵山水竹鳥文輪花大皿」じゃないかなって話をしてました。続きです。

 それで、それとほとんど時期差なく開発されたのが、黒牟田山の山辺田窯跡ではじまった“万暦赤絵系”ってわけです。これは、オリジナルは本当に色絵専用の技術です。いわゆる百花手と呼ばれている種類なんかです。たとえば、これ(https://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/collection/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=62169492&data_id=147)なんかが一番典型的なもので、山辺田窯跡や山辺田遺跡で素地が出土しています。下絵の染付を必ず伴いますが、文様はなく圏線だけです。だから、素地だけ見てもなかなか完成品を想像しにくいんですが、少なくとも染付圏線だけじゃ文様としては完結しないので、色絵するのが前提なのが分かります。そんで、もちろん白磁はありません、染付文様を配すものもありませんので、必然的に色絵製品オンリーってことになります。開発者は史料もなくて誰だか分かりませんので、ここではミスターXってことにしときましたね。

 ミスターXさんは、もしかしたら中国の人かもしれませんね。どっかの商人さんが、長崎あたりからスカウトしてきたのかも?でも、そうだったとしても、ミスターXAさん、ミスターXBさん、ミスターXCさんみたいにたくさんのミスターXさんがきたとは考えられませんね。製品以外に、たとえば窯道具と窯とか製造に関わる部分に中国色は現れませんので。それに、先住陶工に教えたらすぐ帰っちゃったんじゃないですか。典型的な百花手なんてそんなに数はなくて、素地は同じでも高台径が小さいのとか、高台内に圏線がないのとか、すぐにスタイルがグダグダになってくるんで。

 ところが、この“万暦赤絵系”は、“古染付・祥瑞系”よりもチビッと成立が遅れたので、モタモタしている間に、先に“古染付・祥瑞系”の技術が有田じゅうに広がってしまいました。こっちは、色絵製品だけじゃなくて染付製品アリの技術ですから、はるかに使い勝手もいいですしね。当然、山辺田窯跡にもその影響は及びました。そんで、山辺田窯跡でも原則的に高台内の圏線配置とかベースとなるオリジナルルールは残しつつも、“古染付・祥瑞系”風の製品も作られるようになったのです。

 でも、ミスターXさんはしたたかでした。つーか、黒幕は商人さんでしょうけど…。逆に、うまいこと“古染付・祥瑞系”の技術・技法を利用して、幾何文手とか新バリエーションは開発するし、多くはないけど染付製品も試みるし、数は力じゃないけど、窯場の規模の大きさを武器として色絵を作るわ作るわ…。

 それに磁器がはじまってしばらくは、質はよくないし、規模がでかいだけでぜんぜん鳴かず飛ばずの窯場だったけど、本当は大物も作れる技術はあったんですよ。併焼されている陶器の方は作ってますから。陶器大皿の中でも、口径が40cmに近いでっかいのを作れたのは、有田では小溝上窯跡と山辺田窯跡くらいですからね。でも、最初期の磁器の大物と言えば、やっぱ小溝窯跡の独壇場だったわけで…、質も含めてとてもかなわない。でも、寛永14年(1637)の窯場の整理・統合で小溝窯跡が解体された関係で、チャンス到来。その頃から、初期伊万里の大物と言えば山辺田ってなるんですね。それで、古九谷も同じように主力は大物に。これは他ではなかなかマネできなかったんです。その結果、先陣争いには敗れたけど、ほかの窯場を圧倒して、古九谷の色絵大皿と言えば山辺田ってほどのリーダー格にのし上がったんです。

 ということで、まだ長くなりそうなので、本日はここまでにしときますね。(村)

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