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有田の陶磁史(269)

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 前回は、山辺田窯跡のもともとのオリジナルな色絵は、いわゆる百花手と呼ばれる染付の芙蓉手のようなグチャッとした構図のものだって話をしてました。ちなみに、私的にはこうした山辺田窯跡のオリジナルな古九谷の技術を、“万暦赤絵系古九谷”と呼んでいます。

 この種の素地の特徴は前回少しお話ししましたが、素地の質感が独特で、ほぼ高台内のハリが磁器質ではなく陶器質です。高台内には染付の二重圏線が巡らされており、その外側の高台に近い部分にも一本染付圏線が入ります。また、高台外側面基部に二重圏線が巡り、口縁部や内面の見込みの周囲にも染付圏線が配されます。つまり、圏線だらけですが、でも、染付文様などは入りません。ということは、山辺田窯跡の素地は、色絵専用素地だってことです。だって、中途半端に染付圏線だけ入ってるので、白磁にも染付製品にもならないでしょ。

 だから、少し時期が下がれば若干の例外はありますが、山辺田窯跡には原則的に古九谷様式の染付製品、古美術業界などで言うところの“藍九谷”というものがないのです。

 というように、山辺田窯跡のもともとの色絵を説明したところで、一方、猿川窯跡をはじめとする岩谷川内山の古九谷様式は、古染付や祥瑞の影響が大きいことを話しましたが、私的には、これは“古染付・祥瑞系古九谷”と呼んでいます。そして年木山の楠木谷窯跡では暖色系の絵の具を多用し、器壁が薄く、キリッとしたいわゆる“赤絵”、これを“南京赤絵系古九谷”と呼んでますが、これは楠木谷窯跡では古染付・祥瑞系古九谷の後に開発されたということは以前話しました。

 では、山辺田窯跡の中にこうした岩谷川内山や年木山の影響は見られないのでしょうか?あるとすれば、その前後関係はどうなんでしょうね?って、やっと本題に入れます。本題は黒牟田山のミスターXと年木山の喜三右衛門さんの色絵では、どっちが成立が早いんでしょうねってことでしたから。覚えてました?

 まず、山辺田窯跡の色絵素地の中に古染付・祥瑞系や南京赤絵系の影響があるかと言えば、バリバリあります。見る人が気づくか気づかないかは知りませんが…。もちろん、終始骨格としては山辺田窯跡の色絵技術・技法があって、それに肉付けさせる形で、他の系統の古九谷様式の要素が取り込まれます。山辺田窯跡の技術の中で他の技術を消化して、と言ったほうが分かりやすいでしょうか。

 これは、楠木谷窯跡などでは、古染付・祥瑞系の技術と南京赤絵系の技術があまり混じらず、南京赤絵系成立後も古染付・祥瑞系の製品もいくらか作られ続けたのとはちょっと異なります。

 ちなみに、あとからクレーム付けられても困りますので、あらかじめ言っときますが、楠木谷窯跡の中で、古染付・祥瑞系と南京赤絵系の技術が全然、まじらずに並行するってことではないですよ。あくまでも、程度の問題です。たとえば、南京赤絵系の素地に、赤、黄緑、黄の3色、つまり古染付・祥瑞系のルールで色絵を付けたものもあります。でも、二次的に南京赤絵系の技術が伝わったほかの窯では、もっとこの混じり方が複雑ってことです。

 本題に入るって言っといて、本日は、本題までたどり着きませんでしたが、まだ終わりそうにありませんので、本日はここまでにしときます。(村)

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