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有田の陶磁史(308)

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前回まで、高原五郎七さんとミスターXさんの話をしました。本日はその影響をチョチョイといなして、一躍時の人となった酒井田喜三右衛門さんの話をします。

 高原五郎七さんもミスターXさんも今までなかった製品のスタイルを開発し、色絵の技法も確立しました。でも、ちょっとだけ残念なことがありました。それは、使われている中国の技法自体が最新トレンド、つまり流行の最先端ものじゃなくて、チビッと旧式のものだったことです。

 今は、古九谷様式の製品を見る時は、当然古陶磁、古美術品として見るので、万暦赤絵由来だろうが、古染付だろうが、祥瑞だろうが、どれがいいかは好みの問題で、別にその技術の新旧は価値とは関係ないですよね。でも考えてみてください。磁器は当時としては最先端の工業製品です。たとえば、今、古くさい電気製品とバリバリの最新モデルがあったら、よほどの価格差でもない限り、新しいのが欲しくなりませんか?そうなんです。中国の型落ちの技法で作られたのが五郎七さんやミスターXさんの磁器だったわけです。たとえば、現在iPhoneは15が最新ですが、五郎七さんのが14で、ミスターXさんのが13みたいな感じかな。この3つで、値段変わらなければどれを買いますか?みたいなもんです。

 でも、喜三右衛門さんも、最初は五郎七さんちのコピー製品で満足してたんですよ。楠木谷窯跡の発掘調査すると、最初の古九谷は五郎七さん系のやつですから。でも、みんながそれを作ったんじゃ付加価値も下がろうってもんです。そんで、それなら最新トレンドの磁器が作れればこりゃいけるでって、たぶん考えた人がいました。喜三右衛門さんじゃありませんよ。陶商の東島徳左衛門さんです。だって、何がその時のトレンドかなんて、内向きの仕事してる陶工じゃ分かりませんよ。

 この方、当時は横目でのちに初代皿屋代官になる山本神右衛門重澄さんに頼りにされてた御仁で、窯場の整理・統合後の山請けの際にも大坂商人との仲介を任されるなど、よく窯業の盛行といえば「陶工ガー!」って話になりますが、政界と経済界でゴソゴソしてるこういうフィクサーみたいな人たちがいないとムリです。

 そんで、この徳左衛門さんが、長崎で「志いくわん(四官)」という唐人から、もちろん有料ですが、最新磁器の技術を教えてもらって、有田に帰って喜三右衛門さんとこを訪ねて、お互いに儲けようぜって呼びかけたって話です。まあ、徳左衛門さんの裏で糸引いてたのは、神右衛門さんかもしれませんけどね。まだ、この頃喜三右衛門さんはまだ無名でしたが、きっと腕がいいことは知ってたんでしょうね。今の有田でも、名声と腕は、必ずしも一致しませんからね。

 ということで、喜三右衛門さんの話が終わりませんでしたが、本日はここで止めときます。(村)

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