文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

有田の陶磁史(313)

最終更新日:

 長い事更新が滞り、大変失礼いたしました。ご承知のとおり有田町のHPが変更になりまして、資料館分もすっかり入れ替えることになりました。それで、その調整期間中は、触るとめんどくさいことになるからってうちの若い衆に脅されて、やむなくアップするのを控えてました。変更後もまだ慣れていないので、アップはまだまだってことで…。自分でアップするわけではないので、仰せの通りにするしかありません。いや、原稿自体はちゃんと書いてあったんですよ。おかげで、すいぶん熟成させてました。ということで、ようやく準備が整いましたので、また再開いたします。

 前回は、喜三右衛門さんの技術が広く普及して、みんなWin-Winの関係になったって話をしてました。特に喜三右衛門さんの拠点である楠木谷窯跡に近い後の内山地区の窯場では、混じり物の少ないよりピュアな技術として伝わったってことでした。

 でも、勘違いされたら困りますので言っときますが、いくら近くでも、まったく振り向かない窯場はあるんですよ。たとえば、楠木谷窯跡と同じ年木山でも、年木谷3号窯跡なんかは、頑なに初期伊万里様式の製品ばかりを作り続けてますしね。まあ、喜三右衛門さんの前に広がった、五郎七さんの技術ですら華麗にパスって感じですから、かなり筋金入りです。きっと、この窯場に関わった人たちって、例の正保4年(1647)の神右衛門さんの運上銀値上げ説得工作の時に、値上げするなら止めるって帰っていった半分の勢力に含まれるんでしょうね。

 それはいいですが、じゃあ、逆に楠木谷窯跡から遠い、後の外山の窯場はどうだったんでしょうか?まあ、おおむねご想像のとおりです。ただ、もちろん窯場によって、個性はありますけどね。複雑ではないんですが、理解するにはちょっと頭をひねる必要があります。

 どういうことかと言えば、内山経由の喜三右衛門さん技術の影響が大きいか、ミスターXさんの山辺田窯跡の影響が大きいかってことです。単純に言えば。でも、これだと誰も頭をひねらないですね。少しひねってください。山辺田窯跡の技術というのは、もちろん山辺田のオリジナルな技術じゃありません。ミスターXさんと喜三右衛門さんの技術が混じった技術です。おまけに、五郎七さんまで混じってます。具体的には、白磁素地の五彩手や青手の製品です。つまり、山辺田窯跡で一度ブレンドした技術に、また他の窯場で内山経由の技術がブレンドされるってことです。そのブレンド具合が、窯場によってちと違うのです。

 後の内山の中で、後の外山に最も近い位置に当たるのが、西端の岩谷川内山です。そして、逆にその岩谷川内山に最も近い後の外山の窯場が外尾山です。そうすると、多少の距離の違いなんて関係あるのっ?って思うかもしれませんが、現実的に、外尾山の窯場では岩谷川内山に類似した製品が多く作られています。中には同じ土型の製品もありますし。ただし、質的にはちょっと及びません。言うなれば、岩谷川内山の劣化版が外尾山です。具体的には、外尾山窯跡や丸尾窯跡などです。こうした窯場は、後の外山では、比較的内山の技術が色濃く反映されています。

 ということで、本日はここまでにしときます。(村)

このページに関する
お問い合わせは
(ID:2325)
ページの先頭へ
有田町役場 文化財課

〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号

電話番号:0955-43-2678

FAX番号:0955-43-4185

© 2024 Arita Town.