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有田の陶磁史(271)

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 前回は、山辺田窯跡の古九谷様式の中に、岩谷川内山起源の古染付・祥瑞系の技術は、いつ取り込まれたのかって話をしてました。そして、すでに皿の高台内に二重圏線を入れる段階から、たとえば丸文などを配す、祥瑞手の製品などが作られています。つまり、山辺田窯跡の色絵磁器完成からさほど間を置かず、影響が現れるということです。

 でも、山辺田窯跡オリジナルの百花手などと異なるのは、同じ高台内二重圏線の製品でも、ハリは陶器質ではなく磁器質なところです。ここからも、山辺田窯跡では、いくらか百花手などより遅れて成立したことが分かります。でも、百花手の中にも典型的でないものには磁器質のハリのものもありますので、多少生産時期幅はあるんだと思います。逆に、完璧なる祥瑞手には通常陶器質のハリは見られないものの、たとえば九角手などと呼ばれる独特な九角皿のタイプや幾何文手と呼ばれる四角や菱形の枠内を地文で埋めるものなどは、一部祥瑞手の影響も入っているようにも思えますが、これには陶器質のハリもあります。ですから、一度山辺田窯跡のオリジナルな技術で古染付・祥瑞系の技術をアレンジし、その後…、といってもほんとど時期差はないと思いますが、典型的な祥瑞手などバリエーションを増やしていったのかもしれませんね。ただし、その辺は、まだはっきりとした答えを持ちません。

 ちなみに、この話したかどうか忘れましたが、陶器質のハリというのは、山辺田窯跡の最初期の製品にしかありません。ですから、陶器質のハリが使われていれば、即山辺田窯跡製品だってことが分かります。ついでに言っとけば、山辺田より前だと思うけどってここでは考えた、例の鍋島報效会所蔵の祥瑞手大皿の場合は、ハリそのものが使われていません。

 もちろん、山辺田窯跡で古染付・祥瑞系の影響が万暦赤絵系の技法よりも遅れるからと言って、色絵技法の成立そのものが、猿川窯跡よりも山辺田窯跡が早いってことじゃないですよ。そこまで戻ったんじゃ、戻りすぎです。ここでは、すでに喜三右衛門さんが色絵一番乗りじゃなかったということになりましたので、前に示した3つの選択肢上は、トップは五郎七さんで確定ですから。あとは2着、3着が、黒牟田山のミスターXさんか喜三右衛門さんどちらでしょうって話ですから。

 でも、これって前にも言いましたが、もう勝負の行方は何となく想像ついてるでしょ。だって、たとえば喜三右衛門さんの“赤絵”は、「釜焼其外之者共、世上くわっと仕候」なんですよ。最後に広まったので、そうなったって考えるのが自然でしょ。以前、「有田に“色絵”はない。“赤絵”だっ!!」って、その昔は町なかで言われてたって話をしましたが、覚えてるでしょうか。若かりし頃、本当に怒られてたんですから。

 たとえば、有田陶磁美術館に、昭和33年に県の重要文化財に指定された元禄期頃の磁器製狛犬がありますが、この正式名称は「陶彫赤絵の狛犬」と言います。きっと今なら“色絵”って名称を付けたんでしょうが、当時は有田に“色絵”ってもんはなかったもんですから、“赤絵”の狛犬になったんでしょうね。

 これも、17世紀後半以降の有田の中では、主として喜三右衛門さんの“赤絵”が、後継技術として残った名残りだと思えばシックリこないですか。

 という、余計な話をしてたら、予定分量を大幅に過ぎてしまいましたので、続きは次回ということで。(村)

 

 

陶器質のハリ跡

磁器質のハリ跡

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