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有田の陶磁史(320)

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 前回は、お代官の神右衛門さんがどれくらいハラの座った人だったかという話をしてたので、神右衛門さんが後の内山をヨーロッパを中心とした海外輸出に最適化した場所にするためどうしたかって肝心の中身に入れませんでした。続きです。

 後の内山全体を一つの山というか工場というか一括りにして、効率的量産体制を確立するため、域内の技術を平準化することにしました。まあ、どこの窯場で作っても金太郎飴状態って感じかな。

 ところが、そう都合良くはいかないんだな~、これが。だって、現実は、従来の初期伊万里様式アリ、新しい古九谷様式アリ、またまた、その両方がグチャグチャに混じった様式アリで、しかもそれが同じ工房で作られるなど、技術や生産システムが複雑で、もうメチャクチャな状態だったんですよ。まあ、言うなればゴミ屋敷状態。片付けるにも、どこから手を着けたらいいもんやらって感じ…。だからと言って、昨日まで初期伊万里作ってた人に、いきなり今日からバリバリの古九谷様式を作るべしってもできるわけないですからね。でも、策士の神右衛門さんはひらめいたんですよ。例の窯場の整理・統合を応用すればいいじゃーんって…、たぶんね。

 窯場の整理・統合は、有田の窯業地域の西側にあった窯場をガバッと廃止して、東側にズボッと移したってやつですよね。でも、今度のはもちーと緻密です。後の内山にあった窯場の中で、ひと窯全部初期伊万里様式の製品を焼いていたようなところは全廃でよろし。ここまでは単純。問題は、一つの窯の中で、初期伊万里様式と古九谷様式が混在する窯が結構フツーにあるんですよ。

 でも、この場合、ヨーロッパ向けがメインターゲットなので、当時はかなり高級品寄りの製品じゃないといけないわけです。高級量産品って感じ。そしたら、スタイル的には、原則古九谷様式までで、初期伊万里様式や古九谷様式とのマゼマゼ様式なんかは、ちょっとねって感じ。でも、この人たちも生活かかってるので窯場の整理・統合の時のように追放!!ってわけにはいかんでしょ。それに、窯業止めさせると、運上銀にも響くしね。

 じゃーってことでやったのが、民族大移動。ってほどの大げさでもないけど、まあ、それなりにそれなりです。少なくとも窯場の整理・統合の時と同じく、数千人単位の配置換えにはなるでしょうね。バリバリ古九谷様式製作以外の人たちを後の外山に分離することにしたってことです。そうすると、後の内山は純粋古九谷様式の人たちだけが残り、これで技術の平準化が可能になるわけです。頭いいですね。ただし、そんなことズバッとできるだけの胆力があればですけど。でも、それが山本さんの山本さんたるゆえんです。

 じゃあ、その結果どうなったかですが、それについてはまた次回ということで。(村)

 

 

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