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有田の陶磁史(273)

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 前回も、色絵の創始順は、

五郎七 → ミスターX → 喜三右衛門 

ではないですかね~の中身を話そうと思って、全然進みませんでした。今日は、ちょっとくらいは進めたいと思います。

 前回、まず最初に古染付・祥瑞系の技術が、有田全体に広まったという話をしました。それから、最後に南京赤絵系の技術、つまり例の喜三右衛門さんの赤絵”も、有田全体に広まったという話も。あれっ?何か抜けてませんか?あの超有名どころの、万暦赤絵系の山辺田窯跡の技術は、どうなったんでしょうね??そりゃ、古九谷の代名詞みたいな窯ですから、さぞや有田の中で確固たる地位を築いたんでしょう、と思いきや、これがおっとどっこいなんです。

 前に、山辺田窯跡の万暦赤絵系古九谷のオリジナルな製品は、染付圏線だけを入れた色絵素地に限定され、たとえば藍九谷などと呼ばれる染付製品などはないって話をしました。しかも、オリジナル製品は、大物ばっかで小物はないって代物ですから、大物も小物もいける、色絵だけじゃなく染付製品もいけるって万能な古染付・祥瑞系が先に伝わっちゃったら、入り込む余地なんてなしですよ。そのため、少なくとも山辺田窯跡の高台内二重圏線の決まり事である、高台に近いところにも一重圏線を加えたものは、ほかの窯には皆無なのです。

 あっ、誤解されるといけないのでちょっとお話ししておきますが、あくまでも、山辺田窯跡の影響はほかの窯には伝わらなかったということではないですよ。あくまでも、オリジナルな技術が伝わらなかったってことです。前に古九谷様式の大皿を生産している窯のお話をしました。猿川窯跡、山辺田窯跡以外では、外尾山窯跡、丸尾窯跡、多々良の元窯跡、広瀬向窯跡でした。全部、後の外山地区で、山辺田窯跡のご近所さんばっかです。つまり、こうした窯場は山辺田窯跡の影響はあるんですが、それはオリジナルな技術ではなく、もう少し時期的に下がる、混じりっ気の入った山辺田窯跡の技術だということです。

 でも、ここまでですよ。山辺田窯跡に近い西側の窯場までは広まったんですが、その東、後の内山地区の窯場に定着していた、古染付・祥瑞系の牙城は崩せなかったんです。そんで、そうこうしているうちに、南京赤絵系にゴッソリやられちゃったってとこですかね。

 ということで、なかなか山辺田窯跡のミスターXが、楠木谷窯跡の喜三右衛門さんより色絵開発早しって話に行き着きませんね。でも、続きはまた次回。

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