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有田の陶磁史(325)

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  前回は、喜三右衛門さんの超内山レベルの赤絵の技術が、クソ下手物の産地だった南川原山に移転することになったって話をしてるとこでした。

 しかし、「有田皿屋」とか、「有田皿山」とか、「南河原山」とか「南川原皿屋」とか出てきて、ちょっとメンドクサイですね。この関係は、前にお話ししたとは思いますが、覚えてますか?いや、急ぐブログでもないですから、分からなければ何度でもご説明いたしますよ。じゃあ、いつもの脱線ですが、今回は先にこれ片付けときますか。

 基本的に、最初は各窯場が「皿屋」、つまり、それぞれが独立した窯業地でした。つまり、「皿屋」とは産地の単位です。これが、後に「皿山」と呼ばれるようになったわけです。じゃあ、いつ「皿屋」から「皿山」に変わったのかってことですが…、そんなことどこにも書いてあるものはありません。そもそも寛永14年(1637)の窯場の整理・統合の際に、それまでそれぞれが「皿屋」だった窯場を「有田皿屋」として1つの組織に統合して、従来「皿屋」だったそれぞれの窯場は「山」という名称に変えて「有田皿屋」にぶら下げたわけですよ。ですから、それ以後は、有田の窯場はほぼ全体が「有田皿屋」に含まれました。前回お話しした、「南川原皿屋」と「広瀬皿屋」を除いてですが。

 だから、このブログでは超有名な山本神右衛門さんが、正保4年(1647)に窯業を管轄する初代代官になるわけですが、この時は「皿山代官」ではなくて「皿屋代官」です。

 では、いつから変わったかと言えば、はっきりしたことは分かりません。ただ、前回触れた承応2年(1653)の『萬御小物成方算用帳』では、「有田皿屋」になってます。ところが…、同じ年に例の金ヶ江三兵衛(通称:李参平)さんが、多久家に提出した文書があるんですが、そのタイトルを見ると、「皿山金ヶ江三兵衛高麗ゟ(より)罷越候書立」となっています。そう「皿山」なんですよ。もともと「皿山」という名称はなかったわけですから、少なくともこの年までには「皿山」という使われ方ができたって可能性はあるわけです。でも、一方で『萬御小物成方算用帳』は「皿屋」ですよね。そうすると、必然的に承応2年頃に変わったってことになるわけですが、まあ、三兵衛さんの文書は原本じゃなくて、『多久家文書』にある書き写したものですから、写し間違えてなければって話ではあるんですが…。別に写し間違えたって証拠があるわけじゃないんですけど、そうかもねってって疑念もないわけじゃなく…。というのは、この文書の最後に三兵衛さんの署名が入ってるんですけど、そこに記されるのは「有田皿屋三兵衛尉」なんですよ。そう、「皿屋」なんです。ですから、やっぱお役人が単純に写し間違えたか、あるいは考えられるのは…、こっちの方が有力かな?これを写した頃にはすでに「皿山」に変わってたかですかね。別に文書のタイトルは三兵衛さんが付けてるわけじゃないですから。そうすると、お役人が怠け者でずっと仕事を溜めてたってことなら知りませんが、三兵衛さんの文書の提出からそんなに後のことじゃないような気もしますね。

 でも、残念ながら、そのちょっと後くらいに「皿屋」「皿山」なんて名称が記される文書がちょっと思い浮かばないんですよ。ちょうど40年くらいも後のことになってしまいますが、少なくとも、元禄6年(1693)の大川内山の御道具山がらみの文書である「有田皿山代官江相渡手頭写」では、すでに「皿山」ですね。

 ですから、少なくとも承応2年から元禄6年の40年間のどこかであることは確実なんですが、多久家のお役人さんが怠け者でなかったとすれば、1650年代中頃の可能性が高くて、ちょうど今お話ししてる生産制度改革の一環として変わったと考えれば、なかなか座りはいいですね。

 何で名前なんぞわざわざ変える必要があったかと思うかとお察しいたしますが、そんなことは分かりません。ただ、想像をたくましくすれば、もともと窯場の整理・統合以前には、「山」という名称はなくて、全部「皿屋」だったわけです。それを引き継いで、「有田皿屋」を作って、従来の「皿屋」は「山」に変えたわけです。ですから、本来はこの時点で、やきものの「山」の集合体という意味では、「皿山」の方が適切な名前だったとも言えます。でも、最初は従来の「皿屋」の名称を引き継いで「有田皿屋」にしたんでしょうね。そんで、ズルズルとそのまま引きずってきたけど、やっぱ「皿山」の方が正しい名称じゃないってことで、やっと20年後くらいに変えたのかもしれませんね。まあ、名前をそのままズルズル使いつづけるなんてことは、ほかでもよくある話ではありますから。

 ということで、本日は、まったく南川原山の話にはたどり着けませんでしたので、また、次回ということで。(村)

 

 

 

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