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有田の陶磁史(274)

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 ちょっと前から、山辺田窯跡のミスターXさんが、楠木谷窯跡の喜三右衛門さんより色絵開発早しって説明することになってたはずなんですが、なかなか入口が見えませんね~。前回も、山辺田窯跡の色絵技術の広がりのところで止まってしまいました。本日こそ、ちょっと進めます。

 前回、山辺田窯跡の万暦赤絵系古九谷のオリジナルな製品は、染付圏線だけを入れた色絵素地に限定され、たとえば藍九谷などと呼ばれる染付製品などはないって話をしました。しかし、猿川窯跡を中核とする古染付・祥瑞系の技術では、古染付風や祥瑞風の染付製品もあります。

 では、楠木谷窯跡を中核とする南京赤絵系はどうなんでしょう。おっ、やっとここまできました!さあ、どう思いますか??ひと言で言えば、古染付・祥瑞系より一枚も二枚も上手(うわて)、何でもありってのがこの系統です。もちろん、下絵としては、染付圏線や高台銘だけを入れた色絵製品もあります。染付製品もあります。ついでに、同じ型打ち皿で、色絵にしたり、白磁や青磁にしたり、染付にしたりと、フルに使い回すのが、この系統の流儀です。これは、さすがに古染付・祥瑞系には、マネできないですから。だって、古染付風で絵がなきゃ、ボテッとした素地ですから単なる手抜きにしか見えないし、丸文や地文がなきゃ祥瑞風にもならないでしょ。だから、無文の白磁や青磁はありえないですから。

 でも、本当に特筆すべき特徴は、無文の白磁の素地を使った色絵製品があるってことです。「ちょっと何言ってるんだか分からなくなってきた…?」「それがどうした。白磁なんて、どこにでもあるでしょ。」ってとこでしょうかね。そうですね。白磁自体は、数は少ないですが、有田で磁器がはじまった頃からあります。でも、それって、単に染付などの文様を施してないから白磁ってことで、特に染付製品などと質差はありません。「??」。

 ところが、楠木谷窯跡の白磁って、初期伊万里様式は染付製品と同質なんですが、何と古九谷様式の場合は染付製品とは質自体が違うんですよ。参考までに、楠木谷窯跡では、初期伊万里様式と古九谷様式の製品が併焼されてます。

 唐突ですが、大正11年(1922)から終戦頃まで、小学5年の国語の教科書に載った「陶工柿右衛門」って物語をご存じですか?苦労の末、夕日に照らされ輝く柿の実の色を磁器に再現することに成功したって話です。理想的な赤がなかなかできなかったってことです。これ、実話だと思ってる人、結構多いんですよ。柿右衛門様式の話だと思っている人も結構います。柿右衛門様式の話なので、キツイ赤じゃなくて、柿の実の色と聞いて、フムフムとなるわけです。しかも、この話が掲載された大正から昭和前期と言えば、酒井田家は最初から柿右衛門様式の製品を作っていたって考えられていた時期ですからね。ところが、おっとどっこい。今ではその前提自体が崩れてますから。つまり、寛文6年(1666)に亡くなった喜三右衛門さんの時代に、柿右衛門様式はまだありませんからね。喜三右衛門さんの色絵開発と言えば、当然、南京赤絵系の古九谷の話です。

 試しにググってみてください。山辺田窯跡製のような古九谷様式の大皿と、南京赤絵と称されるような小皿の赤絵の具が、はたして本当に違うかどうか。たぶん、穴が開くほど眺めても、違いはありませんよ。「??」

 何が言いたいのか分からないでしょうが、まだ長くなりますので、続きは次回。(村)

 

初期伊万里様式の白磁

 

古九谷様式の白磁

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